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◆大水無瀬島(おおみなせじま)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「青島」(昭和21.4)を使用したものである

所在:周防大島町沖家室島(おきかむろじま)
地形図:平郡島東部(延伸分図)/青島
形態:海沿いに家屋が集まる
標高:数m〜
訪問:2021年12月

 

 沖家室島の本浦から、南南東におよそ5.6qにある島。人家は島北部と南部の東向きの浜付近にあった。
 資料『シマダス』によると、
近世に入り沖家室島や屋代島(やしろじま)(=周防大島)小泊の人々が開拓を始めたとのこと。また製塩のための薪場にもされていた。太平洋戦争中は海軍の見張り所などが置かれた。昭和30年には人口5人。同37年に無住化。
 また町誌によると、戦時中は引き揚げを命じられたが、戦後復帰した者もあったとのこと。また開拓に地家室(じかむろ)の石崎氏が関わっているという(氏は沖家室の開拓にも関係)。

 訪問時は南東部より上陸し、尾根筋を北上、北東部に降りて乗船といったルートを取った。島は「山口県東部海域にエコツーリズムを推進する会」により随時ツアーが行われ、ルートの維持管理が行き届いている。今回の訪問に当たり、同団体の活動記録が非常に参考になった。
 南東部(上陸箇所)では屋敷跡、頂上付近では戦時中の遺構群、北東部では屋敷跡や神社跡(明神社)が確認できた。南部斜面は耕作地跡とのことだが、傾斜地をそのまま畑にしていたようで石垣等の大規模な遺構は見られない。
 なお町誌の字絵図によると、南東部居住地一帯は「沖ノ段」、南部の耕作地跡は「沖ノ段」の飛び地、北東部の居住地一帯は「明神」の字となっている。ほか明神の北に「東明神」、明神の西に「北浦」、洲首崎付近に「すくび」がある。島内の大半は「大水無瀬島」であり、戦時中の遺構群もここに含まれる。

 


写真1 島遠景(東側より撮影)

写真2 住居跡(島南東部=字沖ノ段)

写真3 屋敷跡

写真4 井戸

写真5 島南部の農地跡(字沖ノ段)


写真6 農地跡より
小水無瀬島(こみなせじま)を望む


写真7 大水無瀬山頂上の札

写真8 頂上の聴音機跡

写真9 発電所跡

写真10 探照灯跡

写真11 水槽

写真12 兵舎跡

写真13 写真12にて。炊事場

写真14 明神山南の鞍部

写真15 鞍部付近の農地跡

写真16 農地跡の遺構

写真17 明神山南西の浜(字北浦)

写真18 明神山頂上

写真19 屋敷跡

写真20 屋敷跡

写真21 遺物

写真22 貯水槽

写真23 井戸

写真24 井戸

写真25 石垣と写真24の井戸

写真26 浜への道

写真27 井戸

写真28 浜付近から集落を望む

写真29 集落から海を望む

写真30 明神社参道

写真31 参道の石柱。それぞれ西村氏・石嵜氏の名が見られる

写真32 参道途中の境内社跡?

写真33 明神社跡

写真34 神社跡にて。瓦の鯱

写真35 同。瓦の鬼(吽形。阿形もある)

写真36 集落跡(字明神)

写真37 北部の農地跡

写真38 洲首崎

 

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