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◆中河内(なかごうち)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「長門峽」(昭和22)を使用したものである

所在:山口市徳地深谷(とくぢふかだに)
地形図:堀/長門峡
異読み:なかがわち?(電柱札)
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が集まる
標高:約240〜310m
訪問:2019年8月

 

 大字深谷の東部、御所野(ごしょの)川(佐波(さば)川支流)沿いにある。
 現在は中屋敷とともに観光施設「重源の郷(ちょうげんのさと)」の一部となっている。当地には施設名の由来となった重源上人や地域民俗に関する展示施設「文化伝承館」(写真3)のほか、数々の体験施設や食事処などが設けられている。このうち往時の宅地は「文化伝承館」の南東部と「かじかの里美濃吉」(写真5)の敷地のみ。先の文化伝承館の一角を除き、「木竹の家 匠」より川寄りの施設はほとんどが水田であった土地に設けられている。最近の地形図では墓地の記号も記されているが、現在は管理されておらず斜面の藪の中に墓石が散見されるのみ(写真25)。墓地では福岡姓を2世帯確認。また神社は浮橋神社で、往時から祀られているものであるよう(写真12-14)。以下は現地にある解説板より。


 浮橋神社

古くから伊耶那岐命(いざなぎのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)が「天の浮橋」に立ち「天のぬ矛」を持って海原をかき回しこの地を作ったとされその由来から「浮橋神社」とされている。
御神木とされている「椿」の木は樹齢八百年以上ともいわれ山口県はもとより比を見ないほどの大木で重源の郷の中で特に歴史を感じさせる木である。
俊乗房重源上人が人生四十歳の時代の約八百年前の鎌倉時代に八十六歳まで生き東大寺再興という偉業を成し遂げた事に合わせると大変由緒ある「長寿の神社」として崇められ地元では「ぼけ封じの神社」として奉られている。


 なお町史によると、施設の開設は平成10年4月。また集落内には阿弥陀堂があったよう。
 読みは施設での聞き取りより。電柱札には「ナカガワチ」とあるが(写真2)、ここでは副次的なものと見做した。

 


写真1 路傍の石仏

写真2 電柱札。「ナカガワチ」とある

写真3 文化伝承館。写真左側には宅地が存在していた


写真4 農地跡


写真5 食事処「かじかの里美濃吉」(もと宅地)

写真6 水生植物池(もと農地)

写真7 食事処「重源茶屋」(もと農地)

写真8 土産店兼体験施設「とくぢ浪漫」(もと農地)

写真9 食事処兼ギャラリー「庄屋」(もと農地)

写真10 体験施設「白波」(もと農地)

写真11 体験施設「匠」(もと宅地)

写真12 神社。鳥居

写真13 同。社殿など

写真14 同。境内社

写真15 林道中河内線終点

写真16 写真15付近の農地跡

写真17 「ちびっこ広場」入口

写真18 農地跡と滑り台

写真19 道(写真中央やや下を横断、および中央から奥)と農地跡

写真20 屋敷跡

写真21 炭焼き窯跡

写真22 屋敷跡

写真23 屋敷跡?

写真24 小屋

写真25 墓

 

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