◆木谷(きたに・きだに)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鹿野」(昭和22.2)を使用したものである
所在:周南市高瀬(たかせ)
地形図:周防鹿野/鹿野
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が散在する
離村の背景:ダム建設
標高:先山―約350m 長瀬―約250m?(水面は約280m)
訪問:2019年8月
大字高瀬の東部、島地(しまじ)川およびその支流沿いにある。狼谷・先山(さきやま)・大浴・登尾・小山ヶ原・長瀬(ながせ)の6集落の総称(※1)。島地川ダムの建設に伴い離村したが、一部は水没を免れている。
市史によると、島地川ダムは昭和47年着工、昭和56年竣工。家屋9戸が水没。
また湖畔の碑によると、移転者は先山4戸(有井3戸・福田1)、大浴4戸(有熊3・山崩1)、長瀬1戸(尾上1)(※2)。ほか河内神社・大山祇神社・地蔵堂・秋葉神社が移転している。
旧版地形図から特定できる集落は先山・長瀬のみ。
ダム湖の西端、先山公園付近が先山への登り口。この分岐には、集会所と移設された木谷河内神社(写真5)、猿田彦大神の石塔2基(写真6)がある。解説板によると、古くから河内大明神と称し木谷地区の総代神として先山に創建(時期不詳)。明治4年に木谷河内社と改称。昭和51年ダム建設に伴い解体され、同60年現在地に社殿を新築、奉遷されたとの由。
谷沿いに登ると、集落の手前に石仏が収められた祠(写真8)がある。集落では、屋敷跡2箇所と小さな石祠(神社の記号がある場所)、農地跡が見られた。祠の境内にある「高瀬先山のミズメ」は、市指定文化財の天然記念物(昭和62年指定)(写真13)。
先山公園から右岸の道を400m弱南下すると、上の地図画像で「木谷」と記された家屋群への登り口がある。先に挙げた小集落のいずれかであると思われるが、ここでは山中に家屋を1軒確認(2022年、登尾と判明)(写真14)。
ここから西の鞍部を越え、少し下った場所に建物が記されているが、未訪問(2022年、小山ヶ原と判明)。
島地川本流へ戻り、左岸の長瀬展望公園から見下ろす湖面が長瀬の跡。右岸側では、移設されたと思われる石仏を納めた祠(先述の地蔵堂か)と「道路開通記念」の碑がある(「起工昭和三十三年九月」「竣工(※3)昭和三十四年六月」とある)(写真17)。
さらに北上し、現在の黒川(くろかわ)橋の左岸側の水面下、そして黒川公園の付近に、1970年代の航空写真では人家が確認できる(2022年、大浴と判明)。後者は一部が水没を免れているものの、造成されているため痕跡は皆無。なお黒川橋の西詰には「地権者記念碑」がある。
なお木谷・先山・長瀬の読みは、各地にある周辺案内の看板より。なお木谷については「角川」の小字一覧では「木谷」に「キダニ」のルビがあり、これも併記した。
※1 先山の木谷河内神社の解説板より
※2 このほか鹿野町【現・周南市】の新平ヶ原も移転しているが、集落名のみの記載
※3 本文では「竣」の左はぎょうにんべん
◆2022年追記
資料『さようなら木谷の人たち』(昭和51年刊行)によると、当地にあった小集落とその概況は以下のとおり。
・大浴(おおえき)
明治39年9戸。水害で田に被害があった人々が、昭和の初め頃までに4戸転出。昭和42年に子供の通学を考慮した世帯が転出し、水没前4戸。
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姓 |
転出時期 |
転出先 |
備考 |
1 |
有熊 |
昭和13頃 |
赤山(※4) |
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2 |
〃 |
昭和10頃 |
徳山【現・周南市】 |
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3 |
〃 |
(現存) |
― |
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4 |
〃 |
昭和10頃 |
高瀬西迫 |
|
5 |
〃 |
大正 |
大原(※5) |
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6 |
山崩 |
(現存) |
― |
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7 |
有熊 |
昭和50年8月(現存) |
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3の分家 |
8 |
〃 |
(現存) |
― |
1の分家 |
9 |
〃 |
昭和42頃 |
高瀬秋字明(しゅうじみょう) |
|
※4 鹿野巣山(すやま)の赤山か
※5 高瀬地内の大原か
・長瀬
明治39年7戸。のち1戸死歿、3戸転出。昭和26年の台風で被害のあった1軒が転出。のち子供の通学を考慮した2戸が転出し、水没前1戸。
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姓 |
転出時期 |
転出先 |
1 |
尾上 |
大正末 |
(空欄) |
2 |
野原 |
昭和25頃 |
栗木(※6) |
3 |
有熊 |
昭和36 |
高瀬秋字明 |
4 |
岩村 |
昭和7(死歿) |
― |
5 |
有吉 |
昭和39 |
高瀬殿明 |
6 |
有熊 |
昭和35頃 |
富田(※7) |
7 |
尾上 |
(現存) |
― |
※6 詳細不明
※7 市内富田(とんだ)か
・小山ヶ原
もと2戸あったといわれるが、明治時代の終わりには無住となっていたか。
・登尾(のぼりお)
明治39年6戸(あるいは8戸)。昭和26年の台風の被害が大きく、徳山市方面に転出。
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姓 |
転出時期 |
転出先 |
1 |
山崩 |
昭和27 |
市内福川(ふくがわ) |
2 |
藤田 |
大正末 |
上角(※8) |
3 |
〃 |
昭和27 |
徳山大向(おおむかい) |
4 |
有井 |
昭和28 |
徳山大道理(おおどうり)横川 |
5 |
小田 |
大正 |
徳山米満(よねみつ)大谷 |
6 |
藤田 |
昭和30 |
徳山大道理 |
※8 徳地【現・山口市】鯖河内(さばごうち)の上角か
・先山(さきやま)
明治39年7戸。第二次世界大戦中に2戸転入し9戸。昭和26年の台風により5戸転出し、水没前4戸。
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姓 |
転出時期 |
転出先 |
1 |
有井 |
昭和28 |
徳山大道理 |
2 |
福田 |
(現存) |
― |
3 |
角谷 |
昭和30頃 |
防府 |
4 |
岩田 |
昭和27頃 |
下関 |
5 |
有井 |
(空欄) |
(空欄) |
6 |
〃 |
昭和39頃 |
鹿野 |
7 |
〃 |
(現存) |
― |
8 |
〃 |
(現存) |
― |
9 |
〃 |
(現存) |
― |
・狼谷(おおかみだに)
2戸あったが、徳山市へ転出。
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姓 |
転出時期 |
転出先 |
1 |
福田 |
昭和42頃 |
徳山大向 |
2 |
〃 |
昭和28頃 |
徳山大道理 |
集落の主な生業は、近世の頃は楮の栽培であった。ほか焼畑で食料を生産。水田は元禄・正徳年間(1688-1715)より始まった記録がある。近代以降は楮栽培・製炭・シイタケ栽培・コンニャク栽培・田植えの出稼ぎ(大正まで)・水田耕作・焼畑(現地では切畑〔キリハタ〕と呼ぶ)など。
また集落内にあった神社は以下のとおり。
・大山祇神社(大浴の鎮守)
・大神宮(長瀬の鎮守)。はじめ秋字明との境の山の上にあった
・金比羅宮(登尾)。大道理の有井家の敷地に移された
・河内神社(先山。木谷全体の総鎮守)。境内に猿田彦神が祀られる
・庚神大明神(長瀬)
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