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◆五郎太夫(ごろうだゆう)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鹿野」(昭和22.2)を加工し使用したものである

所在:岩国市錦町広瀬(にしきまちひろせ)
地形図:周防広瀬/鹿野
異表記:五郎大夫(資料『木谷雑記』)
形態:山中に家屋が集まる
標高:約380m
訪問:2019年8月

 

 大字広瀬の中部、木谷川(錦(にしき)川支流)右岸側の山中にある。
 古い地形図では地名の確認はできないが、資料『木谷雑記』に詳細が記載されている。これによると、最盛期4戸20余名ほど。水田・畑が多く地味が豊かであったよう。
 先の資料の「挽古屋から作業道を下ると…(略)…五郎大夫と云う小台地があります」という記述から、先の地図画像で示す場所が当地であると判断。
 町史が引用する「郡中大略」(安政2〔1855〕年)によると、当時の戸数は1戸。
 林道島ノ谷線より作業道挽古屋線が分岐し、当地はその道沿いにある。現地では屋敷跡2箇所が見られ、うち1箇所のそばには墓(写真3)がある。墓には「五郎太夫久兵衞夫婦之墓」と記され、先の資料によると氏は当地開拓の始祖であったよう。
 表記については『木谷雑記』では「五郎大夫」であるが、町史は「五郎太夫」であり、また現地の墓にも「五郎太夫」と記されていることから、ここでは「五郎太夫」とした。また「角川」の小字一覧には、広瀬所属の小字として「五郎太夫(ゴロウダユウ)」が見られ、見出しの読みはこれに拠った。
 なお『木谷雑記』の屋敷跡の写真に「五郎大夫家の土蔵」とあるが、少なくとも現在は五郎太夫氏(あるいは五郎大夫氏)の存在は確認できない。

 


写真1 屋敷跡

写真2 屋敷跡(『木谷雑記』で「五郎大夫家の土蔵」とあるもの)

写真3 墓

写真4 農地跡を縦断する作業道支線

 

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