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◆鳴(なる)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「徳山」(昭和21.11)を使用したものである

所在:下松市瀬戸(せと)
地形図:呼坂/徳山
アクセント:
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約160〜220m
訪問:2021年12月

 

 大字瀬戸の南西部、末武(すえたけ)川と鳴川の合流部付近にある
 現在の米泉湖(べいせんこ)公園の一部に含まれ、展望地の近くには管理家屋と墓地がある。この家屋の後方は植林地となっているが、この中に数箇所の屋敷跡や段々になった農地跡が確認できる。古い墓地が集落東西の尾根上にあり、西側では山本氏・藤原氏、東側では藤原氏の名が見られた。
 なお「大将軍」の案内に従い山道を登ると、集落跡を経由し河内神社を通過する。

 また最近の地形図に見られる記念碑の記号は、鳴川にあった「夕霧淵」の記念碑(※)(写真23)。
 墓地で会った方(高垣出身)によると、かつては12、3軒。田畑の耕作や林業で暮らしていた。最終的には地辷りのおそれのため無住となったとのことで、末武川ダム建設の20年ほど前であった。なお移転以前に
火災があり、集落南西の2、3軒が焼けている。現在の墓地はかつては寺院(西楽(さいらく)寺)で、高垣など水没地域の墓が集められている。また現在も残る家屋は後年になり隣の瀬戸(せと)の人が建てたものであったが、住民が亡くなり無住となっているという。

※ 以下は碑文
 この地に高さ三間の滝があり、夕方にはその淵より良く霧が立ち昇ることから、瀬戸の村人は、古来よりこの淵を夕霧淵と呼び、河内神社の信仰と併せ、長く親しまれてきていた。

 


写真1 公園の一角(集落跡の一部)

写真2 展望地より米泉湖を望む

写真3 何かの建物

写真4 墓地(寺院跡)

写真5 寺院跡の水槽。「昭和十年」とある

写真6 かつての主要道

写真7 家屋

写真8 道

写真9 物置

写真10 開けた平坦地

写真11 屋敷跡

写真12 瓦

写真13 屋敷跡
 
写真14 屋敷跡の遺構

写真15 道と屋敷跡

写真16 浴槽

写真17 農地跡

写真18 石塔

写真19 石塔

写真20 東側の墓地

写真21 西側の墓地

写真22 河内神社

写真23 川沿いの夕霧淵の碑

 

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