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◆引廻(ひきまわし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「徳佐中」(昭和22.3)を使用したものである

所在:萩市福井上(ふくいかみ)
地形図:生雲中/徳佐中
形態:鞍部に家屋が集まる
標高:約240m
訪問:2022年8月

 

 大字福井上の南部、佐々連川と井出ヶ迫川(いずれも阿武(あぶ)川支流)に挟まれた山中にある。
 旧版地形図では鞍部の北側に家屋群、鞍部付近に学校のみが記されている。
 現在は鞍部(学校)の付近にも家屋が複数見られ、訪問時はこちらに2組が滞在していることが窺えた(疫病の流行下であったため、訪問は自粛)。うち1戸は企業のアトリエとして使用されており常住ではないようだが、もう1戸(教員住宅跡?)は常住か。なお学校付近の複数の建物は、形状は異なるものの昭和22年の航空写真で既に認められる。学校は半田小学校で、校舎も残存。校地から道路を挟んだ向かいは小高くなっており、集会所のような建物が残されていた。
 旧版地形図で見られる家屋群は、1970年代の航空写真では3戸ほど見られるものの既に無住となって久しいよう。
 村史によると、全戸が藤原姓。また学校の沿革は以下のとおり。

 明治8  福井西小学校半田支校として創立
 明治10  福井小学校半田支校となる
 明治15.7  福井西小学校半田支校となる
 明治17.9  及泉小学校半田支校となる
 明治20.4  半田簡易小学校となる
 明治25.8  及泉尋常高等小学校半田分教場となる
 明治35.6.1  独立。半田尋常小学校となる
 大正7.5.19  移転

 大正12.4.18

 及泉尋常小学校平蕨分教場を本校の所属とする
 大正12.6  半田尋常高等小学校となる
 昭和16.4  半田国民学校となる
 昭和22.4.1  半田小学校となる
 昭和27.1.13  校舎新築落成
 昭和44.9  現在地に移転
 昭和45  阿武川ダム建設。佐々連仮館清宗が水没し児童数激減
 昭和56.3  閉校

 また児童数は、昭和30年度66人、同52年度7人、同55年度4人。

 なお読みは「角川」の小字一覧のルビに拠った。

 


写真1 校舎

写真2 碑。「半田小学校旧跡」とある

写真3 碑。「開校百周年記念」「心乃故郷」とある

写真4 学校付近の住宅

写真5 農地跡

写真6 集会所?

写真7 集会所?の脇の階段

写真8 写真7先の遺構

写真9 屋敷跡

写真10 農地跡

 

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