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◆井庄原(いしょうばら)



※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「府中」(昭和21.11)を使用したものである

在:世羅町小谷(おたに)
地形図:木野山
/府中
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約220m(水面は約230m)
訪問:2013年5

 

 大字小谷の南部、芦田(あしだ)川沿いにある。現在は八田原(はったばら)ダムの人造湖(芦田湖)に水没。
 井庄原大橋の東側の湖岸がやや緩やかな傾斜になっているが、この水面付近がかつての集落跡。僅かではあるが遺構のようなものも確認できる。なお県道沿いには「井庄原鹿垣の由来」の
碑が建ち、ここに集落の由来が軽く触れられている。以下は全文。


 現在地の眼下はかつての平家伝説の井庄原集落である。大正初期までは高山一族三戸で此の地を営々と守って来た。地域は広島県の上質白炭の主産地で知られ林業を主業とした
 此の地で生きる最大の悩みは農地を荒す鹿や猪であり対策に日夜苦心
 遂に急峻な山肌に延々七〇〇M余の石積の鹿垣の築造を決意し小人数(表記ママ)と数々の悪条件を不撓不屈の精神力で長年月を要し完成させた。人々は壮大な石塁の姿に驚き讃嘆して幾度も振り返り往来したと語り継がれている。我々の祖先が血と汗で築き上げた鹿垣を誇りと、心の支えにして守り続けて来たが今ダム建設で水没のやむなきに至り、その一部をここに移し末永くその開拓精神を後世に伝えたい。


 なお資料『八田原懐古』によると、ダム建設により転出した家は高山11・河原・永光各1の計13戸。

 


(写真1 ダム湖と堰堤)

写真2 集落付近

写真3 井庄原大橋

写真4 碑と鹿垣

 

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