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◆高野(たかの)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「加計」(昭和22.2)を使用したものである

所在:広島市安佐北区安佐町小河内(あさちょうおがうち)
地形図:飯室/加計
形態:川沿いから山中にかけて家屋が集まる
標高:約260〜400m
訪問:2022年11月

 

 大字小河内の南東部、右平川(太田(おおた)川支流)の右岸側にある。対岸は飯室(いむろ)右平
 川沿いの屋敷跡(影浦家)付近には昭和30年頃の家屋や道を記した簡素な地図(写真2)、集落の概要を記した掲示板があり、往時の集落の様子を知るうえで非常に役に立つ。これによると、当時18戸。うち1戸は北西の峠(打越峠)を越えた標高およそ400mの場所に孤立している。
 なお地図の作成は当地出身の増川氏によるもので、作成時期は令和2年8月とごく新しい。

 先の地図を頼りに、15戸の屋敷跡および公会堂跡・薬師堂跡・古八幡神社跡を確認することができた(屋敷跡のうち2箇所は推測)。地図の設置された令和2年8月と時を同じくして、増川氏により公会堂跡・薬師堂跡・古八幡神社跡に略歴が刻まれた標柱が立てられている。なお増川氏屋敷跡にも同様の標柱がある。
 以下は影浦家付近にある掲示板より、当地に関する解説(概要)。

・歴史
 永任・生安の頃(1293-1301)、原田権之守酉之助(安芸の守護職・武田氏の家臣)がこの地に至り、田畑を開いて居住したのが始まりと伝わる(屋号「岡田」の開祖)。その後子孫の分家や他からの移住があり人口が増加した。

・神社
明徳4(1393)年、高野の船出山に高野八幡神社を創建し、当地の氏神とした。祭神は「釈迦御正体」。
天文年間(1532-1554)に船出山の東側から西側に移転。
その後現在の養山八幡宮に遷座。天文17(1548)年、遷座後の八幡神社に古蹟保存のため祭神として「品陀和気命(ほむだわけのみこと)」を勧請し、「高野古八幡神社」と称した。
明治44年9月、集落内の現在の場所に移転。
明治9年当時の氏子は、佐々木5・上本2・岡本・沖本・奥田・影浦・坂本・笹田・佐東・新宅・高田・高津・竹本・中田・福島・増川・保田・山川・山中各1の計24戸。
無住化に伴い、昭和41年10月養山八幡神社に合祀。
平成8年頃までは社の形は保っていた。

・薬師堂
創建時期不詳。本尊の薬師如来は、島根県平田市【現・出雲市】小境町の一畑寺より迎えられたと伝わる。
御大典記念事業として、昭和3年11月堂宇再建。
無住化に伴い、本尊は昭和41年10月小河内の西福寺に遷座。
平成29年頃までは建物の形を保っていた。

・公会堂
昭和24年8月建築。本来は薬師堂の敷地であったが、これを15mあまり移設し、さらに隣接する佐々木氏・佐東氏より土地の無償提供を受け、住民の勤労奉仕により土地が造成された。建物は定期会合・各種懇親会・講演・映写会・芝居等に供用された。
過疎化に伴い、協議の結果上本氏に譲渡されることが決定。昭和43年から44年にかけて、建物は小河内部木谷へ移設。住居に改造し、同氏は昭和44年8月に転居した。

 なお現地を確認しなかった屋敷跡の姓と離村時期は以下のとおり。

保田氏〔昭和38.3〕・佐々木氏〔昭和38.12〕・川本氏〔昭和30.4〕

 「角川」の小字一覧には「高野(たかの)」「奥高野(おく―)」「下高野(しも―)」「大高野(おお―)」「中高野(なか―)」「高野谷(―だに)」が見られる。見出しの読みは、このルビに拠った。

 


写真1 影浦氏屋敷跡〔昭和38.3〕
※ 以下、末尾の〔 〕内は離村時期

写真2 写真1にて。地図

写真3 坂本氏屋敷跡にて〔昭和38.3〕

写真4 同

写真5 高田氏屋敷跡〔昭和37.4〕

写真6 写真5にて

写真7 集落内の道

写真8 道沿いの遺構

写真9 公会堂跡

写真10 薬師堂跡

写真11 古八幡神社跡

写真12 増川氏屋敷跡〔昭和37.6〕

写真13 石塔?(写真12から後方に少し登ったところにある)

写真14 上本氏屋敷跡〔昭和40.12〕

写真15 佐々木氏屋敷跡〔昭和41.9〕

写真16 集落内の道

写真17 佐東氏屋敷跡〔昭和39.8〕

写真18 写真17にて

写真19 上本氏屋敷跡〔昭和36.6〕

写真20 写真19にて

写真21 上本氏屋敷跡?〔昭和44.8〕

写真22 写真21のイチョウ

写真23 上本氏墓地

写真24 佐々木氏屋敷跡?〔昭和34.3〕

写真25 佐々木氏屋敷跡〔昭和40.10〕

写真26 写真25にて

写真27 笹田氏屋敷跡〔昭和41.6〕

写真28 農地跡の小屋

写真29 影浦氏屋敷跡〔昭和41.3〕

写真30 山川氏屋敷跡〔昭和36.12〕

写真31 写真30にて

写真32 写真30にて。三谷峠への道(
沢田へ通じる)

写真33 打越峠(新宅氏宅を経由し仏堂・小峠へ通じる)

写真34 新宅氏屋敷跡〔昭和38.12〕

写真35 写真34にて

 

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