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◆高島(たかしま)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「岡山南部」(昭和21.11)を使用したものである

所在:岡山市南区宮浦(みやうら)
地形図:岡山南部/岡山南部
形態:平坦地の一軒家?
標高:数m
訪問:2021年11月

 

 大字宮浦の北部にある島。宮浦港から北に1q弱。
 資料『シマダス』によると、昭和35年の時点で人口2人(国勢調査)。大正13年に岡山市により遊園地化され、海水浴場が整備されたこともある。神武天皇を祀った高島神社がある。

 上陸は船着場のある南部より。上陸してすぐに神社があり、社殿や境内はきれいに管理されている。境内には「神武天皇聖蹟高嶋宮顯彰碑」(写真4)があるが、これには「神武天皇乙卯年三月舟師ヲ帥ヰ吉備國ニ入ラセラレ高嶋宮ニマシマシ三年ノ間(※1)舟〓(※2)ヲ備ヘ兵食ヲ蓄ヘ給ヘリ 聖蹟ハ此ノ島ナリト傳ヘラル」「昭和十五年十一月 紀元二千六百年奉祝會」とある。また灯籠の基部には以下の文章が刻まれ、元来の位置から移されたものであることが分かる。

此燈籠ハ古来鳥居ノ稍北東海岸沿ニ在リ昭和四十五年仝六年九月再度ニ亙ル台風高潮ノ襲来ヲ受ケ倒壊寸前タリシヲ時ノ宮浦町内会執行部各位ヲ始メ総代等協議ノ上現在ノ所ニ移ス当時高島神社町内会共ニ是ニ必要ナル財源等ノ有由モナカリシガ宮浦ノ数少キ文化財ノ此儘ニシテ崩壞スルヲ拱手傍観スルニ忍ビズ敢テ移転ヲ断行ス工事費ノ総ハ町内会長タリシ紋十郎十二世井上正雄氏ノ寄進ニヨリ一部町民有志ノ労力奉仕モ有リタリ尚先年鳥居復元工事モ氏ノ寄進ニヨリ行レ吾等ハ郷土愛ノ心ニ燃ユル氏ノ芳志ニ対シ感謝ノ念ヲ禁ジ得ズ茲ニ其由来ヲ刻シテ記念トナス

 昭和五十二年十月 氏子中

※1 「間」は異体字。もんがまえに月
※2 〓は「楫」の右に「戈」


 中央やや北の平坦部は住居があった場所と思われ、管理された畑や小屋が見られた。この南東には古い瓦や遺構が見られる。平坦部の西岸には小さな船着場があり道も整備されていることから、所用の際にはここから上陸していることが窺える。
 南部の頂上にも登ってみたが、特に何も見られず。稜線上などに柱状の人工的な石造物が横たわっているものが散見されたが、遺構の類ではないよう。
 なお島の外縁には歩道が設けられており、東西とも中央の平坦部までは通じていることを確認した(島の北部は未確認)。石仏が所々に置かれている。またこれとは別に、神社付近から山頂付近を越え平坦部に降りる道もある。

 


写真1 島遠景(南東より撮影)

写真2 南部の遠景

写真3 参道より神社を望む。鳥居の跡と「高嶋神社」と記された石柱が見える

写真4 「神武天皇聖蹟高嶋宮顯彰碑」

写真5 灯籠

写真6 手水鉢

写真7 狛犬と拝殿

写真8 「明治天皇御製」とある歌碑。裏には「皇紀二千六百〓記念 新宮獻會」とある(〓は「禾」の下に「干」。「年」の異体字)

写真9 拝殿と本殿

写真10 境内社跡?

写真11 東岸の道。石仏が置かれている

写真12 同。左に石仏

写真13 瓦

写真14 建物跡の遺構

写真15 東の浜からの風景

写真16 石仏と西岸の道

写真17 同

写真18 西の浜からの風景。右に船着場が見える

写真19 船着場から中央への道

写真20 畑と小屋

写真21 島内の池。石橋が架かる

写真22 山中への石段

写真23 山中の石仏

写真24 頂上付近の巨石

写真25 山中の道

 

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