◆鶴島(つるじま)
所在:備前市日生町日生(ひなせちょう―)
日生の中心部より南東およそ6qにある島。キリシタン流刑地として知られる。 ※ 現在の長崎市の一部 上陸は島の北部より 。ここには民宿もしくは観光農園が営まれていた名残と思われる便所が設けられ、浜の少し奥には人家のような建物の跡がある。ここからキリシタン墓地までは道がきれいに整備され、途中には井戸・顕彰碑(米軍兵士の遺体を鄭重に供養した住民の女性を称えたもの。写真7)・「坂本真楽配流之地」(写真8)の碑が見られる。また脇道を登った先、島の頂上からやや下がった所には「改宗の祠」がある(写真10)。墓地には自然石の墓が並び、「浦上殉教者碑」(写真13)・先述の十字架(写真14)・マリア像が置かれている。時折供養が行われるようで、船主の話では何度かこれらの人々を送迎しているという。道が整備されているのもこのためか。比較的整備された枝道が西に向かって延びているが、降りた先は民宿跡の一帯と思われ、磯には一部の建物が残る(写真20)。 当初この付近を集落と誤認していたため、さらに南を探索。実際の集落内の探索は短時間となってしまったが、廃屋や井戸を確認することができた。なおこの一帯にキリシタンが押し込まれた長屋があったとされる。 以下は浦上殉教者碑の「由来」の碑文。 一八六九年(明治元年)より約五年間 いわゆる浦上四番崩れの為 長崎浦上のキリシタン三三八〇名は 名古屋以西の二十藩に総配流
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写真1 島遠景(北側より撮影) |
写真2 桟橋より北の浜を望む(右は便所、左は写真3) |
写真3 北の浜付近の平坦地 |
写真4 浜からの道 |
写真5 建物跡(屋敷跡?) |
写真6 井戸 |
写真7 碑 |
写真8 碑 |
写真9 写真10への石段 |
写真10 改宗の祠 |
写真11 道沿いの便所 |
写真12 墓地 |
写真13 殉教者碑 |
写真14 十字架 |
写真15 炊爨設備?(観光の名残か) |
写真16 物置小屋 |
写真17 倉庫 |
写真18 農耕機械 |
写真19 何かの遺構 |
写真20 廃墟 |
写真21 西の浜の船着場 |
写真22 西の浜からの登り口 |
写真23 湧水地 |
写真24 井戸 |
写真25 廃屋 |
写真26 井戸 |
写真27 廃車 |
写真28 西の浜の遠景 |