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◆宮本(みやもと)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「石見大田」(昭和35.3)を使用したものである

所在:出雲市多伎町奥田儀(たきちょうおくたぎ)
地形図:石見大田/石見大田
アクセント:ミヤモト
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約90m〜
訪問:2012年8

 

 大字奥田儀の北部にある。田儀川の支流、宮本川沿い。
 現地にある「大正時代の宮本地区住宅図」によると、下流より田部・乗越・苗・栗見・佐々木・金森・和田森・栗見・藤原・大谷・大谷・秦野・和田森・吉田・寺院(※1)・川上・大谷・渡辺(*1)・近崎・河上・沢田・森山・山本・渡辺・滝川(*2)・神田・坂本(以上本流)・石出・川上・川上(以上支流(屋敷川)=地図スキャン画像の「西明」)。なお*1から*2までの土地は、長らく当地の中心的存在であった桜井家(※2)の邸宅であったが、明治15年3月焼失。この対岸には神社(※3)や鍛冶屋跡・製鉄従事者の住宅跡などがある。最盛期は170世帯700人が暮らしていた。
 また付近で伺った話では、後年は炭焼きなどで暮らしていたという。先述の「西明
(にしあかす?)」という呼称は聞いたことがないとのこと。なお「西明(にしあかし/ニシャカシ)」は山を越えた小田(おだ)の地名。

※1 智光(ちこう)院。山号は白応(はくおう)山。浄土宗。桜井家の没落後は衰え、大正末期からは無住となった
※2 初代の桜井氏はもと阿井(あい)村(のちの仁多町阿井地区)の人物。奥田儀へ招かれ、踏鞴(現地では「鈩」の字を充てる)による製鉄事業を興した。藩の庇護のもと発展し、田畑の開墾や道路の開通にも貢献。製鉄は明治23年のまで続いたが、12代目・13代目は松江に転出。明治15年の火災は鍛冶屋の出火によるもので、製鉄従事者の住宅70戸も全焼した
※3 金屋子
(かなやご)神社。桜井家により勧請。祭神の金山彦・金山姫は鉄鉱業の神
(※1-3は、宮本史保存会による現地の案内板より)

 


写真1 家並

写真2 寺院

写真3 桜井家墓地

写真4 旧桜井家跡にて

写真5 同

写真6 往時の住宅図


写真7 「小鍛治場跡」
※表記ママ


写真8 「大鍛治場跡」
※表記ママ

写真9 神社・石段

 

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