◆定常(さだつね)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「根雨」(昭和28.9)を使用したものである
所在:南部町下中谷(しもなかたに)
地形図:井尻/根雨
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約100m(水面は約110m)
訪問:2012年5月
大字下中谷の中部。賀祥(かしょう)ダムの人造湖(緑水(りょくすい)湖)に沈んだ集落。現在の〓牛(あごうじ)(※1)橋付近。
訪問時は水量も多く集落の痕跡を確認できなかったが、橋の袂には「定常郷」の碑がある(写真3)。これによると移住世帯は遠藤6・細田4・〓(※2)・〓野(※2)・舩田・山本。またダムサイトの「移転者芳名」でも同様。
集落付近の湖畔には公民館など数軒の建物があるが、人家はない。また付近には上長田神社があるが、もと信頼にあったもので賀祥ダム建設により現在地に移転している。同社は大正12年、定常の定常神社を合祀(信頼のページ参照)。
以下は町誌より学校(上長田小学校)の沿革(要約)。
明治6.5.23 |
第三中学校区第二十一番小学校定常小学校として、細田氏の家屋を校舎にして発足。校区は賀祥・信頼・入蔵(いりくら)・〓牛(※1)・定常・早田(わさだ)・赤谷(あかたに)・大河内(おおこうち)・笹畑(ささばた)・大木屋(おおきや)。のち中谷小学校と改称 |
明治6.9.9 |
校舎移転 |
明治21 |
中谷簡易小学校と改称 |
明治23 |
落合簡易小学校下の能竹(のうじく)を校区に併合 |
明治25.9.26 |
上長田尋常小学校と改称 |
明治27.8.29 |
大木屋の児童を印賀村【現・日南町】菅沢(すげさわ)校へ委託 |
昭和16 |
上長田国民学校と改称 |
昭和18 |
高等科併設 |
昭和26.4.14 |
大木屋分校開校 |
昭和30.4 |
上長田小学校と改称 |
昭和43.3.31 |
閉校式 |
定常は近世の会見(あいみ)郡定常村。明治10年赤谷・早田・大河内・篠畑(ささばた)(※3)の4箇村と合併、上中谷村となる(角川)。
※1 〓は「馬へんに辛」
※2 〓は「券」「巻」などの上部6画の下に「禾」。秦の異体字
※3 笹畑のことだろう
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