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◆広瀬(ひろせ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「江住」(昭和24.5)を使用したものである

在:すさみ町周参見(すさみ)
地形図:江住/江住
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約300m
訪問:2014年1月

 

 大字周参見の北東部、周参見川支流の広瀬谷沿いにある。合流部の本家平(おもやだいら)から上流に向かって約4.2kmの、川岸がやや開けている辺り。
 町誌によると、当地は山本主膳正康忠(※1)の妻子と家臣が隠棲した地であるとのこと(一部は
下戸川にも分かれた)。産土神は諏訪神社。寛永年間(1624-45)には藩より広瀬谷一帯を領土として下賜され、名字帯刀を許され地士として認められたという。元禄年間(1688-1704)、山本氏は周参見の福寺近くへ移転(※2)
 なお集落までの途中にある名勝・琴ノ滝近くには「戦国武将の隠れ里 広瀬谷」と題した説明板があり、同様の説明がなされている。
 集落跡には山本氏隠棲の地を記した碑(写真1)が立ち、屋敷跡も2箇所ほど確認。支流との合流部には社もあるが、先述の諏訪神社か(写真8)。碑の後方の山林も歩いてみたが、石で四角く囲った小さな遺構が見られたのみ(写真9)。何かを祀った跡のよう。

※1 市ノ瀬(いちのせ)(現在の上富田町の地名)の竜松山城主。天正13(1585)年、秀吉の紀州攻めに降ったが、和睦のため羽柴氏の拠点大和郡山に赴いた際に謀殺された
※2 後述の説明板によると、家臣はこの地に残り暮らし続けたとのこと

 


写真1 碑


写真2 小屋


写真3 屋敷跡


写真4 農地跡


写真5 小屋


写真6 集落付近の広瀬谷


写真7 墓


写真8 社


写真9 何かの跡

 

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