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◆広見川(ひろみがわ)

所在:田辺市中辺路町野中(のなか)
地形図:発心門/龍神 
アクセント:ヒロミガワ
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:約500m
訪問:2007年10月ほか

 

 日置(ひき)川の上流、広見川流域にある。戦後の食糧増産計画で農地開拓団(野中の「広見川開拓団」)結成により開拓された。
 集落へは、旧国道311号から新高尾(しんたかお)トンネルを抜け、林道広見川線へ入る(新トンネル開通前は、高尾トンネル(現在封鎖)より林道広見川支線を通り、新高尾トンネルの出口に至る)。
 集落は林道に沿って人家が散在。川沿いの平地を利用した耕地の跡が続く。4、5軒の建物の跡を確認。壜や瀬戸物のかけらが残っていたり、垣根が残っていたりでそれと分かる。その他石垣が築かれた農地の跡も広く見ることができた。途中で分岐する林道(千丈(せんじょう) 線)に沿って、飯場の廃屋(写真2)も見られる。共同部屋は真ん中が通路、両側が一段上がった畳のスペースとなる。ほか釜風呂(写真3)・厨房(写真4)・洗濯機が見られ、宿泊ができるようになっている。他には「脇村市太郎植林の地」という碑(昭和50年11月建立・写真5)も建っており、氏が明治・大正期に、地元の人と協力して林業を興したことが書かれている。
 町史によると、入植者は加藤・柳川・松浦・木下・古久保・藤川・横手。昭和41年に2戸が転出、最終的には2戸が永らく暮らしていたが、柳川氏が死去、古久保氏も転出し、無人になった。
 以下は「ふるさと近野 第1集」より広見川に関する記事を要約したもの

昭和22年開拓の開始。政府や農協から資金を借り、家を建て耕地を開く。東牟婁の四村(※1)や日高の山路(※2)から来た人が主で、全部で8戸(予定では15戸)
そば・麦・じゃがいも・蒟蒻・三椏を栽培したが、日照の不足・冬季の寒さなど農地に適さず生産は上がらなかった。のち男性は山仕事で賃金を得るようになり、農業は女性の仕事になっていった
昭和25年ころには中学生が4人、小学生が2人いて、一里石(いちりいし)の寄宿舎に入っていた。寄宿舎がなくなってからは、自宅から早朝に登校。就学者の減少後は、野中や近露(ちかつゆ)の親類の家から通うなどした
昭和40年ごろ、借りた資金を完済
。開拓団は解散に向かい、以降離村が相次ぐ。離村者のほとんどは野中に移住

※1 四(よ)村は後の本宮町
※2 上山路(かみさんじ)・中山路(なか―)・下山路(しも―)各村は後の龍神村

 


写真1 屋敷跡付近?
(以下2007年)


写真2 湯たんぽ


写真3 何かの跡

写真4 記念碑

写真5 何かの跡

写真6 土場。造成前は数戸があったよう
(以下2014年撮影)

写真7 農地跡

写真8 浴槽跡

 

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