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◆高串(たかくし)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「川原河」(昭和28.5)を使用したものである

所在:印南町高串
地形図:古井/川原河
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約130〜150m(水面は約150m)
訪問:2023年5月

 

 大字高串の南部、切目(きりめ)川沿いにある。現在は切目川ダムの建設に伴いに大半が水没。
 「角川」によると、大字高串は近世の日高郡高串村。明治22年真妻村の大字となる(のち安住村→印南町)。大指出帳(日高鑑)(延宝6〔1678〕年刊)では8戸29人。「続風土記」(天保10〔1839〕年刊)では24戸111人。明治6年27戸148人、同24年42戸174人、同44年22戸113人(以上日高郡誌)、昭和30年20戸94人、同35年18戸79人、同40年17戸71人(以上続日高郡誌)、同52年16戸62人(町勢要覧)、昭和59年17戸62人(国勢調査)。
 近年は狭小な水田での稲作と、柑橘栽培・土木仕事で生活していた。

 町史の小字図より、転出家屋のある字地は左岸で根木野(ねぎの)・平(たいら/ダイラ)・住家平(すみやだいら)(もしくはキヨシ垣内(―がいと))、右岸で細之(ほその)・中頭(なかがしら)。このうち根木野は堰堤より下流であるため、また住家平・中頭では湖面よりも高い位置の宅地があるため、完全な水没を免れている。根木野・住家平には最近の地形図では果樹園の記号が記されているものの、現在耕作は行われていない。
 細之の東の尾根上には、新しく設けられた祠(写真7)と往時からの小祠(写真8)、往時からの墓地(古居氏)(写真9)が見られる。
 右岸の付替道路終点付近(中頭地内)には、水没地から移設されたと思われる祠や石造物(道標を兼ねた地蔵菩薩・庚申供養塔)が集められた一角がある(写真13)。町史には母乳に御利益のある地蔵が細之にあったことが記されているが、この中に祀られているかは未確認。また湖面への降り口付近には移転した妙見社があるが(写真14)、これには謂れや遷座について解説した看板が立てられている。
 堰堤付近にある「切目川ダム建設工事移転者顕彰の碑」(写真2)によると、移転者は古居8・堀2・山中2、熊代・阪本・新谷が各1の計16世帯
 町史によると、氏神は田ノ垣内
(たのかいと)の真妻神社。
 また県河川課のウェブサイトによると、ダムは平成3年度着工、同27年2月竣工。平成20年1月高串地区の離村式が行われた。

 


写真1 ダム堰堤

写真2 移転者顕彰の碑(平成27年設置)

写真3 根木野遠景

写真4 住家平・キヨシ垣内を望む

写真5 住家平・キヨシ垣内にて

写真6 平(左の先端部)・細之(右上の先端部)を望む

写真7 祠

写真8 巨木と往時の祠(右下)

写真9 墓地

写真10 何かの基礎

写真11 細之にて

写真12 中頭を望む

写真13 祠・石造物群

写真14 祠(高串妙見社)

写真15 特徴的なマツの木。妙見社の旧社地か

写真16 中頭にて

 

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