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◆野竹(のだけ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「栗栖川」(昭和28.6)を使用したものである

所在:田辺市本宮町野竹
地形図:皆地/栗栖川 
アクセント:ダケ
形態:山中に2つの家屋群がある
標高:北・約400m 南・450m
訪問:2008年9月

 

 愛宕(あたご)山の西南、大塔(おおとう)川支流の大(おお)谷上流にある。大谷の北側・南側それぞれの分岐の上流に家屋群があり、古い地図では北側に10軒くらいと学校、南側に4、5軒くらいの建物が見られる。
 現在は大字静川(しずかわ) より林道が延び、付近まで自動車で行くことができる。北側では、林道から少し上がった場所に道標・何かの跡(学校?)・墓地があるが、かつての家屋群から少し離れた場所になる。家屋群のあった場所では、屋敷跡・段々になった水田跡・墓地(写真1)が見られた。南側でも屋敷跡・段々になった水田跡(写真3)・墓地(写真4)が見られ、谷では炭焼き窯の跡も見られた。なお林道沿いには1基の墓石があるが、なぜか「岐阜縣」の文字が見られる(地元の方の話で疑問が解決。後述)。明治36年9月に建立(写真5)。
 檜和瀬(ひわぜ)集落の方の話では、戦後すぐ、電気が通る前に無人になり、かつては19軒があった(大字全体?)。学校は静川小学校野竹分校?(※)。もともとは「クラブ」(現在でいう公民館)だった。廃止直前くらいで10人くらいの児童が在籍し、廃止後は四村(よむら)小学校武住(ぶじゅう)分校に移籍。林業が主な生業で、水田もあった。氏神は武住の矢川(やがわ) 神社に合祀されている。岐阜の人の墓は行き倒れの人のもので、通称は「金太郎さんの墓」(遭難者の名前から。姓は左が「矢」、右が「田」。「畑」の譌字か)。
 なお大字野竹には、現在檜和瀬と綿内(わたうち) の集落(それぞれ5世帯・1世帯)しか残っていない。地理的には武住になりそうだが、この一劃は四村川を挟んで野竹に属している。

※ 町史によると、明治19年皆地小学校より野竹小学校が分立。同35年、経営困難により皆地小学校・武住小学校に野竹校の事務を委託

 


写真1 墓地。北側にて


写真2 屋敷跡?北側にて


写真3 農地跡。南側にて


写真4 墓地。南側にて

写真5 金太郎さんの墓

 

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