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◆和田(わだ?)

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「奈良」(大正5.12)を使用したものである
所在:山添村桐山(きりやま)
地形図:柳生/奈良
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設 標高:約270m(水面は約280m)
訪問:2026年8月
大字桐山の東部にある。現在は布目(ぬのめ)ダムの人造湖(布目湖)に水没。
訪問時はそれほど水位が低くはなかったものの、往時の道路が一部露出し、また僅かながら遺構も確認できた。かつての集落後方の尾根には別荘風の建物が2軒建てられているが、かつての住民関係者のものだろうか。
釜淵(かまぶち)橋の北詰には和田墓地があり、久保・今井・和田・久保・車井・久保の各家の墓が移設されている。また墓地の看板には碑文が記されており、久保・車井・久保・久保・今井の各氏の名が刻まれている。
以下は和田墓地の碑文。
山紫水明ニシテ豊カナ自然環境ニ恵マレタ和田ノ里モ 奈良市民三十五万人ノ水ガメトシテ布目ダム建設ノ要請ヲ受ケ 大英断ヲ以テ是レニ協力スルコトヽナリ 先祖伝来ノ古キ歴史ヲ持ツ我ガ和田ノ里ガ湖底ニ沈ムコトヽナル ソノ後 水没地調査関連事業ニ依ル遺跡発掘ノ結果 縄文草創期ノ土器 石器ガ出土スルニ及ビ我等ガ先祖ガ一万年前カラ此ノ地ニ定住シテイタ由緒ヲ知ルニ至ル 旧和田集落ハ 此ノ地ヨリ南西約二百米ノ尾根スソニ点在シテイタガ現在ノ集落ハ上流ノダム湖畔ニ移転シ 墓地ハ此処釜淵ヲ聖地ト定メ祖先ノ御霊崇敬ノ場トシテ末永ク菩提ヲ弔ワントスル者ナリ 希バ 我等ガ子孫ヲシテ永久ニ御加護アランコトヲ
平成二年四月吉日
資料『村の語りべ』によると、水没世帯は南部の道路沿いに移転したほか、2戸は村外に移転したとのこと。
また村史には、当地からの村外移住者として中窪氏・今井氏が記されている。
ダム建設の経緯については牛ヶ峰のページを参照。
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