|
◆牛ヶ峰(うしがみね)

※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「奈良」(大正5.12)を使用したものである
所在:山添村北野(きたの)
地形図:柳生/奈良
異表記:牛ヶ峯
形態:尾根裾に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設 標高:約290m(水面は約280m)
訪問:2026年8月
大字北野の北部、布目(ぬのめ)川右岸側の小さな支流や尾根付近に家々があった。
布目ダム建設に伴う離村だが、かつての家々は布目川から離れた高い位置にあったため、そのほとんどは水没を免れている。
現在は付替道路沿いに別荘風の家屋が数軒見られるほか、移設された墓地(牛ヶ峰共同墓地)がある。水没地から移されたと思われる石仏(岩に彫られたもの)が複数見られるのも特徴的。
なおかつての宅地は湖畔の造成や道路の開鑿のため、往時の形状を留めているものは少ない。
墓地にはダム建設や墓地移転の経緯が記された記念碑があり、以下にその碑文を記す。
大阪市の衛星都市として 住宅化が進む奈良市の急激な人口増加に伴い その上水道需給に対処する為 昭和五十年五月洪水調節と利水等多目的の為 布目川に建設される布目ダム建設計画が発表され
翌五十一年二月水資源開発公団布目ダム調査所が奈良市に設置され 地元対策組合と用地の立入調査をめぐり 日夜交渉が進められた その後 用地測量補償調査 補償交渉と幾度の紆余曲折を経て 協議交渉が重ねられた しかし乍がら 公団の深い御理解と奈良県及び山添村の誠意ある御指導御援助により 水没者一同生活再建が出来得るものと判断した結果 昭和五十八年四月五日補償交渉の妥結に至ったものである これにより 先祖伝来のあく事のない山紫水明の故郷牛ヶ峰六戸の生活基盤である先祖の血と汗の結晶からなる田畑のすべてや 山林や住居が その事業用地として 買收される事となった 我々は 日夜移転対策について協議を重ね 慎重審議の結果 ダム建設により恩恵を受ける下流幾十万の人々の生活を想い 又地域の開発を願って断ち難き愛着を断って事業に賛同し 大英断を似なって一同堅い決意のもと 生活の再建を目指して 想い出つきない故郷や知友に決別し 昭和五十九年左記の地に移転したものである 又 水没した埋葬墓地や道路用地となった参り墓の移転については 牛ヶ峰全戸が見渡せるこの地を聖地と定め 水資源開発公団 中山石渠店 尾上建設 安田建設の誠意ある設計施行により 円満無事に移転改葬を終了 落慶入魂の式典を迎えるに至ったものである 願わくば 子々孫々に至るまで永遠に香華の絶ゆる事なく 先祖の霊を弔い冥福を祈らん事を
合掌
昭和六十一年三月吉日
なお碑に記された6戸(池田・池田・今谷・田和・森岡・吉田の各氏)の移転先は、奈良市5戸、大和郡山市1戸。ほか墓地のみを残す者として中田氏・福田氏が記されている。
また集落後方の山中には、村指定名勝である「牛ヶ峯岩屋桝形」(※)がある。これは大日如来が刻まれた巨岩からなる岩屋(写真9)と、別の巨岩に刳り抜かれた枡形の穴(写真12)を併せたもの。岩屋の巨岩に彫られた大日如来像(写真10)は弘法大師が制作したもの、これに用いた鑿と鎚が「桝形」に納められたと伝わる(現地の説明板より)。
なおこの参道には春日神社跡・堂宇・複数の石仏が見られる。
※ ここでは固有名詞と見做し、「桝」の表記は村観光協会のウェブサイトや現地の説明板に準拠した。なお地形図では「枡」を用い「枡形石」と記載されている
資料『村の語りべ』によると、布目ダム建設時は6戸で、全戸が村外へ移住したとのこと。
また岩屋は大日如来を本尊として「岩屋寺」とも呼ばれ、岩窟内に不動明王、境内入口に善女龍王を祀り、霊場として修行の聖地となっていたという。明治の廃仏毀釈の煽りで荒廃したが、明治25年、北野西村の人々が「桝形」を開き一般に公開。この大法会によって、岩屋桝形は世間に知られるようになった。
以下は村史よりダム建設の主な経緯。
| 昭和42 |
奈良市が経済企画庁にダム予定地の調査を委託 |
| 昭和45? |
水没地区住民により、布目ダム対策組合が設立 |
| 昭和47.6 |
村議会にて、ダム対策特別委員会設置 |
| 昭和51.1.13 |
閣議において水資源開発基本計画が決定。ダム建設計画が正式に発効となる |
| 昭和51.7 |
ダム対策組合、基本調査実施の協定に調印 |
| 昭和54.1 |
山添村布目ダム対策協議会設立 |
| 昭和54.11.30 |
建設大臣より水資源開発公団に、「布目ダム建設事業に関する事業実施方針」の指示 |
| 昭和55.1.25 |
建設大臣より、ダム建設事業に関する実施計画の認可。公団は、布目ダム建設工事着工の公告を行う |
| 昭和58.3.24 |
奈良市柳生地区補償基準妥結 |
| 昭和58.4.5 |
山添地区補償基準妥結 |
| 昭和59.9 |
住民の移転開始 |
| 昭和60.7 |
離村式挙行 |
| 昭和61.5.10 |
ダム本体工事に着手 |
| 平成元.12.26 |
本体コンクリート打設完了 |
| 平成2.10.16 |
試験湛水開始 |
|
平成3.4.6 |
試験湛水終了 |
| 平成3.10.16 |
竣工式挙行 |
| 平成4.4 |
管理移行 |
また山添村から村外へ移住した世帯は以下のとおり。
・大字北野
牛ヶ峰…森岡・吉田・今谷・田和・池田・池田
津越…龍井
腰越…田中・向井・大住
・大字桐山
和田…中窪・今井
大君…小谷・大橋
・大字峰寺…大谷
なお表記については「牛ヶ峰」と「牛ヶ峯」がいずれも用いられているが、ここでは前者を主とした。また読みは村観光協会のウェブサイト、「牛ヶ峯岩屋桝形」の解説での読みに倣った。
|