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◆松平(まつだいら)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「十津川」(昭和28.6)を使用したものである

所在:十津川村玉置川(たまいがわ)
地形図:大沼/十津川

形態:山中に家屋が集まる
標高:約750m(玉置川の集落からの登り口は約300m 玉置神社は約960m)
訪問:2008年12月

 

 玉置(たまき)神社の南、玉置山の中腹にある。古い地図では4軒の建物が見られる。現在は神社まで車道が延びているので、神社から降りて行くほうが近く、高低差も少ない。
 10月に神社側から行こうと思ったが、社務所の方に話を伺ったところ麓から登るほうが良いという。また夕刻が迫っていたため途中まで降り深追いせずに引き返した。山道を下る途中「松平作業道」という看板を見つけ、四輪車の通れる作業道まで降りた。
 12月に再度探訪を試み、今度は麓から登った。山道には古い電柱の跡や、茶碗・壜・碍子のかけらといった古い生活の痕跡が所々に落ちている。やがて水田跡(写真1)の石垣が見え始め、先述の作業道に着く。道下には屋敷跡が確認できなかったが、道上には1箇所の屋敷跡と墓地(写真2)が見られた。墓地の隣は小平地になっており、寺社か何かがあったように思える。墓地の上段には「玉置山松平三界万霊塔」が建ち、「開基、平家一門供養祈願」と書かれている。また「玉置社僧墓」があり、宝永から慶応までの僧の戒名が刻まれている。下段の個人の墓石には杉岡姓・松谷姓・東姓・岡本姓・谷本姓が見られた。
 地元の方の話では、かつては高牟婁院法王寺(※)があった地で、廃仏毀釈以前には300人ほどの僧侶が寄宿する宿坊があった。田を作っていたそう。覚えている範囲で、1つだけ宿坊が残っていた。最後の住民は神社の神主。この頃には水田は既に植林されていた。農作業・山仕事は、神社関係の住民とは別の住民が行っていたのではないかとのこと。
 『十津川の地理』によると、離村時期は昭和33年、当時の戸数は1戸。
 また『十津川郷採訪録』によると、最盛期には「スガヤ」「オカモト」「タマヤ」(いずれも屋号)など4軒があったという。

※ 漢字表記については、閲覧者様から情報をいただきました。『十津川郷』(西田正俊著)に記載されているとのことです

 


写真1 水田跡

写真2 墓地

 

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