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◆木屋(きや)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/10,000地形図「大阪西部」(昭和7.6)を使用したものである

所在:大阪市港区弁天(べんてん)六丁目
地形図:大阪西北部/大阪西北部
形態:川沿いに家屋や施設が集まる
標高:数m
訪問:2022年12月

 

 港区の北部、安治(あじ)川左岸にあった町。安治川拡張工事に伴い土地が掘削され、大部分が現在の安治川の水域となった。
 昭和12年の都市地図を元に新旧の版地形図と照合すると、町の範囲は右に開いたペナントのような形をしており、北は此花区の境界線、南西は弁天埠頭の1号上屋付近、北東端は6丁目3番地付近。したがって、陸地としては弁天埠頭公園付近と6丁目6番地付近のみとなる。
 なお隣接する湊屋町との境界付近には、対岸とを結ぶ渡船(開昇渡)が見られる。
 以下は弁天埠頭公園にある「旧町名継承碑」(平成7年3月、区役所による設置)(写真3)より。


 『木屋町』

 当町は明治初頭、西成郡木屋新田の一部であった。明治三〇年四月大阪市に編入され西区川南大字木屋の一部となり、同三三年四月木屋町となった。大正一四年四月行政区画の変更にともない港区に編入された。昭和二五年安治川拡張工事によりその大半が安治川の水面下となった。同四三年九月住居表示の実施にともない弁天町六丁目の一部となった。
 町名は新田の開発者であった木屋弥兵衛の屋号に由来する。


 区誌によると、宝暦7(1757)年木屋弥兵衛による開拓とのこと。
 「角川」によると、行政区としては初め西成(にしなり)郡木屋新田。明治22年川南(かわみなみ)村の大字となる。明治30年西区川南大字木屋(大正14年より港区)。昭和43年弁天一〜六丁目となる。
 明治9年人口174人。同24年101戸425人。

 


写真1 旧町域を望む(写真中央やや下が北東端)

写真2 南西端付近より旧町域を望む


写真3 旧町名継承碑

 

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