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◆行野(ゆくの)
(元行野)




※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「尾鷲」(昭和23.10)を使用したものである

所在:尾鷲市行野浦(―うら)
地形図:尾鷲/尾鷲
形態:南部―谷沿いに家屋が集まる 北部―海沿いの斜面に家屋が集まる
標高:南部―約60m〜 北部―約80?〜150m
訪問:2014年5月

 

 市の北東部にある。現在の行野集落(行野浦)は大曽根浦(おおそねうら)集落の東隣に位置するが、ここでは当集落が移転する前の旧行野集落(元行野)について述べる。
 手持ちの旧版地形図には、現在のJR紀勢本線の九鬼トンネル・白浜トンネルの間にある谷に地名と建物が記されているが、最近の地形図での記載はここから北におよそ1.5kmの斜面に表記(先の地図画像では、北側の点線で囲まれた辺り)。
 まず旧版地形図に記載されている南部を訪問したが、道がよく分からず急な斜面を強引に進んで谷に合流。比較的標高の高い場所から農地跡と思われる古い石垣が見え始める。さらに谷に沿って下ると、紀勢本線の線路が見える辺りに屋敷跡が集中して見られた。帰り際は尾根沿いに登ったが、こちらでも農地跡が確認できる。なお集落はるか上方の現在の県道には「元行野橋(※)」が架かり(写真18)、少し南の豊緑(ほうろく)2号橋の袂には何かの跡地も見られる(写真19)。
 続いて北部を訪問。作業道(車道)で県道からある程度まで降りることができるが、車道の終点は最近になって土場として造成されたようで、周囲の遺構は失われている。屋敷跡はこの付近でいくらか見られるが、集落下端では人家とは異なる雰囲気の建物跡が確認できた。さらに下へ向かい海へ降りると思われる道もあるが、こちらは探索せず。
 資料『おわせの浦村』によると、先述の南部を指し「現在元行野と呼ばれている土地」としている(北部については触れられていない)。慶長6(1601)年9戸。田畑もあった。荒波を受け舟の接岸もできないため、万治2(1659)年より波の静かな小字松本(現在の行野浦)への転居を開始。断崖の小道を通いながら松本を開墾し、享保9(1724)年までに計20戸が移住。文化7(1810)年にはまだ5戸が残留していたが、この時点で松本を正式に行野浦としている。完全に移住が完了したのは大正の中頃。
 また市史によると、寺院に永林寺(曹洞宗。山号は桃頭山)があったとのこと。延宝3(1675)年創立(当時は永林庵)。享和2(1802)年本堂建立。文政6(1823)年火災があり焼失したが、同年再建。昭和に入り永林寺となる。

※ 橋梁の銘板では、読みは「もといくの」

 

≪南部≫


写真1 集落上部の農地跡


写真2 集落最上部の道

写真3

写真4 集落上部の道

写真5 集落上部の屋敷跡?

写真6 猪垣

写真7 集落内の道

写真8 屋敷跡

写真9 屋敷跡の遺構

写真10 同

写真11 同

写真12 何かの跡

写真13 屋敷跡の遺構

写真14 線路脇の小祠

写真15 海に近い小高い場所にて。何かの跡

写真16 谷と鉄道の橋(第一元行野橋梁

写真17 河口付近

写真18 元行野橋

写真19 何かの跡
≪北部≫

写真20 集落遠景

写真21 階段

写真22 農地跡?

写真23 道?

写真24 集落内の横道

写真25 同

写真26 集落内の道

写真27 石垣

写真28 遺構

写真29 遺構

 

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