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◆君ヶ野(きみがの)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「二本木」(昭和27.1)を使用したものである
所在:津市美杉町八手俣(みすぎちょうはてまた)
地形図:二本木/二本木
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約130m(水面は約140m)
訪問:2026年8月
大字八手俣の北西部、八手俣川(雲出(くもず)川支流)右岸斜面にある。現在は君ヶ野ダムの建設に伴いほぼ水没。
水没を免れた部分は現在ダム公園として整備され、園内には「離郷の碑」や殉職者の慰霊碑、丹生水神神社などがある。少数ながら宅地も含まれているようだが、整地により痕跡はない。
湖面でもほとんど痕跡は見られないが、下流側では石垣や水没した電柱が見られた。また県道沿いには「千方神社跡」がある。
以下は「離郷副碑」の碑文。
巨額の口碑と莫大な労力を費して君ケ野ダムは見事に完成した 聳えたつ巨大な堰堤に支えられた水はこんご下流数十粁に及ぶ地域の治水かんがい或いは上水道工業用水にと夫々大きな役割を果すことになるがこの大事業の蔭には永年住み馴れた家と土地を手離し故郷を去つて行かねばならぬわれら水没者の悲しみが祕められている 村を出た者にも家がある限りいつの日にか帰る時があろう しかしわれらにはもう帰る故郷がない 時代の要請は感傷を無視(※1)して開発の扉につぎつぎと開かれて行く われらとて決してこれらを拒むものでないが ひしひしと感じるこの淋しさを果して何人が理解してくれるであろうか いま第二(※2)の人生を踏み出すべく水辺に立てばダムの水は深く〓(※3)く澄んで水底に眠る祖先の霊も何事かを語りかけているような気がする さらば ふるさとよ 永遠にさらば
昭和46年4月 君ケ野ダム水没関係者恊議会建之
※1 「視」は旧字
※2 「第」は略字
※3 〓は「さんずいに令」
裏面には「移住世帶」として君ヶ野17名、宿広12名、大河内10名の名が記されている。また「水没土地」として、田5ha(関係所有者24名)・畑5ha(同57名)・山林80ha(同74名)と記されている。
村史より、君ヶ野ダムの主な沿革を以下に記す。
| 昭和38.5.30 |
調査事務所設置 |
| 昭和38.7 |
湛水予定地指定
竹原公民館にて、県・村当局・村議会および一般住民と説明・懇親会
八手俣ダム水没関係者協議会結成 |
| 昭和40.1.25 |
説明・懇親会 |
| 昭和40.2.3 |
君ヶ野ダム水没者関係者協議会と雲出川調査事務所との間で、測量実施にあたっての覚書を交換 |
| 昭和40.4.2 |
雲出川調査事務所が雲出川開発建設事務所と改称 |
| 昭和41.1.16 |
君ヶ野ダム建設事業施行に関する協定書に調印 |
| 昭和41.3.3 |
君ヶ野ダム水没者関係者協議会と、雲出川開発建設事務所により、一筆調査に関する協定書調印 |
| 昭和41.12.23 |
君ヶ野ダム補償基準発表 |
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昭和42.4.3 |
君ヶ野ダム水没者関係者協議会と県土木部との間で、個人補償に関する協定書に調印。6月17日より、個人別に契約・調印開始 |
| 昭和43.7.19 |
ダム本体工事着手 |
| 昭和43.10.17 |
起工式 |
| 昭和44.6.4 |
定礎式 |
| 昭和46.5.14 |
湛水開始 |
| 昭和46.12.31 |
ダム本体完成 |
| 昭和47.3.24 |
完工式 |
転出者と移転先は以下のとおり(村史掲載順)。参考として、碑に記載のものも併記する。
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村史 |
碑 |
転出先 |
備考 |
| 1 |
萩野 |
萩野 |
村内竹原 |
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| 2 |
北出 |
北出 |
〃 |
名は異なる |
| 3 |
伊勢谷 |
伊勢谷 |
〃 |
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| 4 |
宮田 |
宮田 |
〃 |
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| 5 |
萩野 |
萩野 |
一志町【現・津市】 |
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| 6 |
宮田 |
宮田 |
〃 |
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| 7 |
松本 |
松本 |
〃 |
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| 8 |
松浦 |
松浦 |
〃 |
名の表記が異なる(類似の別字) |
| 9 |
松浦 |
松浦 |
久居市【現・津市】 |
名は異なる |
| 10 |
大森 |
大森 |
〃 |
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| 11 |
松本 |
松本 |
〃 |
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| 12 |
岩脇 |
岩脇 |
〃 |
碑では「脇」の「力」の部分がが「刀」 |
| 13 |
松浦 |
松浦 |
春日井市 |
名の表記が異なる(漢字と平仮名) |
| 14 |
松浦 |
松浦 |
四日市市 |
〃(類似の別字) |
| 15 |
萩野 |
― |
村内三多気 |
碑には記載なし |
| 16 |
植山 |
植山 |
津市 |
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| 17 |
― |
尾畑 |
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村史には記載なし |
また当地には十輪寺があったが、大正初期に無住となったのち荒廃したとのこと。
なお先述の「千方神社」は、藤原千方(※4)の首を祀ったものという。
※4 藤原千方(ふじわらの・ちかた)は、平安期の豪族。四鬼(金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼の4体の鬼)を使い、伊賀・伊勢にて朝廷に叛乱を起こしていた。藤原千常の子とされるが、実在の人物であるかは不明
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