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◆京丸(きょうまる)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「佐久間」(昭和35.5)を使用したものである

所在:浜松市天竜区春野町小俣京丸(はるのちょうおまたきょうまる)
地形図:気田/佐久間
アクセント:キョーマ
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約700m
訪問:2007年5月

 

 小俣の北、京丸山の南東に位置し、京丸川の上流にある集落。60年に一度咲くという「京丸牡丹」の伝説で知られる。
 石切(いしきり)川の支流のうち、京丸川は北部を流れ、集落は合流部から約6.5km上流の右岸にある。集落の近くまで林道(京丸林道)があるが、小俣同様一般車は通行禁止。洞木沢林道との分岐点には車止めのゲートがある。延々と続く未鋪装の道を歩くこと1時間以上、集落への分岐に着く。ここから集落へ向かう途中、4、50代くらいの男性がチェーンソーで作業をしており、20代くらいの女性も一緒に手伝っていた(お子さんだろうか?)。偶然にも京丸の藤原氏とのこと。話によると、集落には戦後頃まで3軒あり、この方の家が最後の住民だったそう。水道は沢から水を引いており、電気は小さな発電施設(発電機?)で賄っていた。通学は、家を離れ親戚?の家に寄宿、石切の学校?に通っていた。神社の天井の絵が珍しく、訪れる人も時々いるそう。
 家屋群に着くと、先ほどの藤原氏の家が綺麗に手入れされて残っていた(写真1)。今でも十分に住めそうなくらい。隣は墓地で、こちらもよく手入れがされている。別の場所には廃屋も1軒ある(写真3)。集落の神社(写真4)には藤原家所有の阿弥陀如来(1606年11月28日銘)が祀られている。氏から伺ったとおり、天井にはさまざまな絵が鮮やかに描かれていた(写真5)。また壁には、ここを訪れた人が名前やメッセージなどを書き残している。
 「広報春野町」の記事、「春野名所7 仙境京丸」(S.34.9)では、当時1軒だけ残っていた藤原氏が次のように語っている(要旨)。

「集落の起源は、およそ700年前に京都の住人が戦渦を逃れてこの地に住み着いたものと聞く。落人のため素性を隠す必要があったのか記録が一切なく、一部の持ち物も火災のため焼失し、はっきりしたことは分からない。元は12軒あったというが、最近までで3軒。そのうち2軒も昭和18年ごろ気田へ移り住んだ。私の家はそれらの本家。京丸ボタンが大正2年に咲いたときに私も見ることができ、傘を拡げたくらいの大きさに見えた。」

 「町史」には明治20年に小俣・京丸を訪問した坪井正五郎氏の報告がまとめてあるが、「人家3軒」「人口は、両村で80余り、昔は20余戸あり」「昔は血族結婚あり」「男子の髪型は、散髪8分髷2分」などとある
 明治時代にも3軒で、全て藤原家。

 


写真1 藤原家住宅


写真2 平坦地。左に墓が見える


写真3 廃屋

写真4 神社

写真5 神社の天井画

写真6 神社の壁にて

 

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