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◆小俣(おまた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「佐久間」(昭和35.5)を使用したものである

所在:浜松市天竜区春野町小俣京丸(はるのちょうおまたきょうまる)
地形図:気田/佐久間
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約600m
訪問:2007年5月

 

 小俣川上流にある集落。町の西部を縦断する気田(けた)川の支流にの1つに、石切(いしきり)川がある。この上流では、小俣川と京丸(きょうまる)川という2本の川が合流している。このうち南部を流れるのが小俣川で、集落は合流部から約3.3km上流の右岸にある。左岸には集落の近くまで林道があるが、一般車は通行禁止。最近の地図では右岸にも道があるが、破線となっている。さらに川に沿った道(破線)も見られる。
 今回は右岸の山道を徒歩で向かった。山道へ入るには、民家の庭や畑の跡を横切ることになる。この家の方の話では、今は通る人がほとんどなく、最近通った人がいるが道は荒れているかもしれないのこと。
 途中1、2箇所ほど迷いながらも、山道は大きな荒廃もなく1時間弱で小俣に到着。まず道沿いに農地の跡が見える。さらに少し進むと集落の跡に着く。植林された薄暗い林の中には神社(写真1)・学校(写真4)を見ることができ、「石切小学校小俣分校跡」と刻まれた碑が建っていた(写真5)。このほか建物があったであろう敷地が数箇所、廃屋が3軒ほど。このうち1軒は時々かつての住人が訪れているようで、あまり荒れていない。車輛で進入した形跡もある。
 なお小俣分校について、「広報春野町」(昭和41.6)の小俣分校閉校の記事内に沿革がある。

 大正11.4.1  小俣共同家庭教授所を開設、四年まで。藤原■■さん宅
 昭和3.4.3  現在地に開設
 昭和10.2.4  小俣分校として認可される
 昭和16.4.1  気田国民学校の分校となる
 昭和22.4.1  石切小学校小俣分校となる(※石切小学校も昭和45年に閉校)
 昭和40.9.10  一時閉鎖
 昭和41.3.31  廃校


 さらに昭和41年6月の記事にも小俣分校の記事がる。当時は1年生から6年生、7人の児童が在籍し、同じ学級で1人の先生が教えていた、といったことが書かれている。
 ほか小俣関連の記事に、昭和38年2月の「小俣に電話開通 営林署等の協力で」などがある。
 町史には明治20年に小俣・京丸を訪問した坪井正五郎氏の報告がまとめてあるが、「人家9軒」「藤原●●家・藤原▲▲家、他7軒は明治維新後の思い思いの姓を付ける。」「慶応元年正月、火災により人家9軒は全焼」「昔は血族結婚あり」などとある

 


写真1 神社


写真2 屋敷跡


写真3 廃屋

写真4 校舎

写真5 学校跡の碑

写真6 家屋

写真7 廃屋

写真8 廃屋

 

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