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◆黍生谷(きびゅうだに・きびうだに)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「高山」(昭和28.6)を使用したものである

所在:高山市朝日町黍生谷(あさひちょう―)
地形図:朝日貯水池/高山
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約880m(水面は約870m)
訪問:―

 

 大字黍生谷の西部、秋神(あきがみ)川沿いにある。秋神ダムの建設に伴い離村したが、ほとんど水没はしていない。
 村史によると、鎌倉街道・江戸街道として古くから飛騨と信州を結ぶ要所であったとのこと。そのため役人・旅人・商人の宿として栄えた。後年は川沿いに街道の改良が進み、峠越えをする人は消えたため客は減少。当地は農地も少なかったため、林業や畜産・出稼ぎによって生計を立てた。
昭和20年頃より電源開発により秋神ダム建設計画が発表され、同24年より工事が開始された(離村時期の記載はないが、同ダムにより全戸が水没した小瀬ヶ洞は昭和25年より離村が始まっている)。移転先は高山市6・久々野町【現・高山市】1・丹生川村【現・高山市】1。国勢調査で昭和25年8戸55人、同35年2戸24人、同45年1戸3人。
 「角川」によると、大字黍生谷は近世の益田郡阿多野(あだの)郷の黍生谷村。明治8年朝日村の大字となる(当初は朝日村黍生谷組と称した)。「後風土記」では8戸56人。

 当初は全戸離村の状況を把握していなかったため、小瀬ヶ洞のみを訪問し引き返してしまった。ただ現在の航空写真を見る限り県道沿いには建物もあり、人の営みはあるよう。
 なおダムサイトには
「朝日ダム水没者名簿」とある碑があり、黍生谷区の9戸として洞口・島尻・洞口・洞口・小島・清水・大前・岩畑・小谷の各氏の名が挙げられている。

 


(写真 堰堤と秋神貯水池)

 

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