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◆下上籠(しもあげろう)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を使用したものである

所在:大町市八坂
地形図:日名/大町
異表記・異読:上篭下(あげろうしも)(地形図)

 

 上籠沢の中流部にあたる。村誌付録の「八坂村全図」には中の沢・野田・大明神・産羅川といった地名が見られるが、これらの集落を総合したの便宜上の地名であるよう。
 なお全図の「大明神」と記されている場所は、本文の内容から鑑み「沢村」とした

 

 

≪産羅川(うぶらがわ)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである

地形図:日名/大町
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約550〜600m
訪問:2006年11月・2025年11月

 

 県道469号線より大姥(おおうば)神社へ向かう林道(産羅川線)の途中にある。民家は2軒見られ、いずれも土壁に多少の崩壊があるが、建物自体はしっかりしている(2006年)。

 2025年、大姥神社を訪問。集落も再訪し、改めて薬師堂を確認した。家屋も形を保って残存している。

 村誌によると、移転事業により昭和54年度に中の沢と合わせて6戸36人が舟場に移転したとのこと。
 また当地の薬師堂はかつて100mほど奥にあったが、台風で崩れ1970年頃現在地に移ったという。
 北の大姥山には金太郎の伝説があり、山姥が金太郎を産んだとき産湯に使った池だという「金太郎の初産池(うぶいけ)」がある。このことから「産羅川」の地名がついたという。
 読みは村誌のルビより。

 


写真1 廃屋


写真2 家屋


写真3 薬師堂
(以下2025年撮影)


写真4 薬師堂脇の石造物群


写真5 二十三夜塔


写真6 神社。参道と常夜灯


写真7 同。鳥居と社標


写真8 同。社殿

 

≪方上籠(かたあげろう?)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである

地形図:日名/大町
形態:川沿いの斜面に家屋が集まる
標高:約600m
訪問:2006年11月

 

 上籠沢の中流部の右岸にある。古い地形図には見られず村誌付録の地図にある地名。
 集落は北側を向き、低い所にあるので日当たりはあまり良くない。川には真新しいコンクリート製の小橋が架かり、いまだ人の行き来があることが分かる。
 大まかに東部と西部に分かれる。東部は3軒ほどの屋敷跡があり、全て倒潰したり朽ち果てていたりする(写真1)。竹藪の中に民家とは違う何かの敷地がある。「寄進」と彫られた石柱(写真3)と、3段くらいの石段、潰れた小さな屋根があったが、神社か寺院関連だろうか。古い地図にはいずれの記号もない。山側には墓地があり、お供え物をした形跡も見える。大日向姓。野田の墓地で見た姓と類似している。
 西側には手入れがよく施された民家が1軒。造りが新しく、最近まで人が住んでいたように見える。また東西の中間には消火栓があった。
 さらに離れた西にも民家があるが、道はつながっていない(上上籠の沢集落に所属か)。壁に「おびなた■■(名前)」という子供の落書きがあったが、「大日向」をこう読むのだろう。

 村誌によると、移転事業により桐山・日向口と合わせ8戸20人が舟場へ移転したとのこと(昭和51〜52年度)。

 


写真1 屋敷跡


写真2 竹藪の中の遺構


写真3 石柱

 

≪沢村(さわむら?)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである

地形図:日名/大町
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約520m
訪問:(2006年11月)・2012年6月

 

 上籠沢と産羅川方面の分岐付近。村誌の付録地図に「大明神」と記載されている地区。
 
諏訪神社と公民館、1軒の廃屋を確認(写真1-3)。

 村誌によると、当地の諏訪神社はもと沢村・産羅川・中の沢・野田・本上籠・蔓巻の20戸の産土神であったとのこと。祭神は建御名方命。通称「大明神」。
 ほか白山社・春日社があったよう

 なお上籠の「沢地区」が移転事業により3戸7人が舟場(刈干場)に移転した(昭和56年)とのことだが、当地かあるいは付録地図の「沢」(=中畑)か、どちらを指しているかは不明。

 


写真1 諏訪神社


写真2 上篭下公民館


写真3 屋敷跡

 

≪中の沢(なかのさわ?)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである

地形図:日名/大町
形態:山中に家屋が少数集まる
標高:約600m
訪問:2006年11月・2025年11月

 

 上籠沢左岸にある。家屋は3軒見られ、1軒はほぼ全壊で荒れ果てている。別の1軒は平成になってからの移住のようでかなり新しい。母屋の横に敷地があるが、蔵があったのだろうか。もう1軒も比較的新しく、こちらには蔵がある。携帯電話の電波もよく入るが、無人になったのは平成10年代だろうか。
 伊東姓・竹村姓を確認。

 2025年、野田の訪問に伴い再訪。先述の新しい家屋は1軒が現存。墓地では竹村氏2世帯と伊藤氏1世帯(屋号「わで」)が見られた。
 村誌によると、昭和54年度に移転事業により、産羅川と合わせて6戸36人が舟場に移転したとのこと(歴史編)。なお民俗編には、昭和55年に「中の沢地区」7戸とある。
 また集落の上には八幡社が祀られていたとのこと。

 


写真1 廃屋


写真2 廃屋にて


写真3 家屋
(以下2025年撮影)

写真4 墓地

 

≪野田(のだ?)



※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである

地形図:日名/大町
形態:山中に少数の家屋が集まる
標高:約700m
訪問:(2006年11月)・2025年11月

 

 中の沢集落よりさらに山道を登る。何かの敷地を1箇所確認したが、狭いため民家ではなさそう。家屋の場所は特定できなかった。墓地があり、大日方の姓が見える(2006年)。

 2025年訪問。墓地を通過し、道なりに進むと集落に到達。現地では2箇所の屋敷跡を確認。北の小山(766mの標高点がある場所)では小祠が見られた。村誌の付録地図にはここに野田山城跡が記されているが、城郭があったような雰囲気はあまり感じられない。

 村誌によると、付近の峰には野田と中の沢で祀る三峯社が祀られていたとのこと。住民の先祖は、野田山城の見張りをするためにここに住むことになったという伝承がある。

 


写真1 墓地

写真2 墓地の石造物群。左は大日如来、右は村誌によると馬頭観世音であるよう(台座から落ち倒伏)

写真3 屋敷跡

写真4 屋敷跡

写真5 写真4にて。農耕器具

写真6 山上の小祠。村誌掲載の金刀比羅社か

写真7 山上からの風景

 

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