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◆下上籠(しもあげろう) 所在:大町市八坂
上籠沢の中流部にあたる。村誌付録の「八坂村全図」には中の沢・野田・大明神・産羅川といった地名が見られるが、これらの集落を総合したの便宜上の地名であるよう。
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≪産羅川(うぶらがわ)≫
地形図:日名/大町
県道469号線より大姥(おおうば)神社へ向かう林道(産羅川線)の途中にある。民家は2軒見られ、いずれも土壁に多少の崩壊があるが、建物自体はしっかりしている(2006年)。 2025年、大姥神社を訪問。集落も再訪し、改めて薬師堂を確認した。家屋も形を保って残存している。
村誌によると、移転事業により昭和54年度に中の沢と合わせて6戸36人が舟場に移転したとのこと。
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≪方上籠(かたあげろう?)≫
地形図:日名/大町
上籠沢の中流部の右岸にある。古い地形図には見られず村誌付録の地図にある地名。 村誌によると、移転事業により桐山・日向口と合わせ8戸20人が舟場へ移転したとのこと(昭和51〜52年度)。
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![]() 写真3 石柱 | |
≪沢村(さわむら?)≫
地形図:日名/大町 上籠沢と産羅川方面の分岐付近。村誌の付録地図に「大明神」と記載されている地区。 村誌によると、当地の諏訪神社はもと沢村・産羅川・中の沢・野田・本上籠・蔓巻の20戸の産土神であったとのこと。祭神は建御名方命。通称「大明神」。

※ 明色部
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大町」(昭和24.11)を加工し使用したものである
形態:谷沿いに家屋が集まる
標高:約520m
訪問:(2006年11月)・2012年6月
諏訪神社と公民館、1軒の廃屋を確認(写真1-3)。
ほか白山社・春日社があったよう。
なお上籠の「沢地区」が移転事業により3戸7人が舟場(刈干場)に移転した(昭和56年)とのことだが、当地かあるいは付録地図の「沢」(=中畑)か、どちらを指しているかは不明。

写真1 諏訪神社

写真2 上篭下公民館

写真3 屋敷跡
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≪中の沢(なかのさわ?)≫
地形図:日名/大町
上籠沢左岸にある。家屋は3軒見られ、1軒はほぼ全壊で荒れ果てている。別の1軒は平成になってからの移住のようでかなり新しい。母屋の横に敷地があるが、蔵があったのだろうか。もう1軒も比較的新しく、こちらには蔵がある。携帯電話の電波もよく入るが、無人になったのは平成10年代だろうか。 2025年、野田の訪問に伴い再訪。先述の新しい家屋は1軒が現存。墓地では竹村氏2世帯と伊藤氏1世帯(屋号「わで」)が見られた。
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![]() 写真3 家屋 (以下2025年撮影) |
![]() 写真4 墓地 |
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≪野田(のだ?)≫
地形図:日名/大町
中の沢集落よりさらに山道を登る。何かの敷地を1箇所確認したが、狭いため民家ではなさそう。家屋の場所は特定できなかった。墓地があり、大日方の姓が見える(2006年)。 2025年訪問。墓地を通過し、道なりに進むと集落に到達。現地では2箇所の屋敷跡を確認。北の小山(766mの標高点がある場所)では小祠が見られた。村誌の付録地図にはここに野田山城跡が記されているが、城郭があったような雰囲気はあまり感じられない。 村誌によると、付近の峰には野田と中の沢で祀る三峯社が祀られていたとのこと。住民の先祖は、野田山城の見張りをするためにここに住むことになったという伝承がある。
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![]() 写真1 墓地 |
![]() 写真2 墓地の石造物群。左は大日如来、右は村誌によると馬頭観世音であるよう(台座から落ち倒伏) |
![]() 写真3 屋敷跡 |
![]() 写真4 屋敷跡 |
![]() 写真5 写真4にて。農耕器具 |
![]() 写真6 山上の小祠。村誌掲載の金刀比羅社か |
![]() 写真7 山上からの風景 | |