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◆接待(せったい



※ この地図は、国土地理院発行の1/50,000地形図「諏訪」(昭和33.9)を使用したものである

在:長和町和田
地形図:霧ヶ峰/諏訪 和田/和田
形態:谷沿いの斜面の一軒家
標高:約1,250m
訪問:2013年11

 

 村の南部、和田川上流部にある。江戸(日本橋)と近江(草津)とを結ぶ街道・中山道の道中にある。下諏訪町との境である和田峠の下にある茶屋のひとつで、峠のすぐ下に位置する東餅屋とも近い。
 現在の国道142号と旧街道はこの付近でほぼ合流しており、車での訪問も容易。現地には復元された茶屋の家屋が建つ。背後には林家の墓地があるが、茶屋は代々同家により営まれていたと思われる。「殉職警察官近藤谷一郎君之碑」(写真5)は、接待地籍で殉死した巡査を悼んだもの。長らく慰霊祭も行われ、現在も命日に清掃や献花が行われているとのことで、鄭重に供養されていることが窺える。なお茶屋前にある湧水は有名なようで、訪問時も水汲みに訪れる人々が見られた。
 以下は現地の説明板より。


 接待(和田峠施行所)

 江戸呉服町の豪商かせやり与兵衛(有隣)が、中山道の旅の難儀を幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した。その金の利子百両を二分して、碓氷峠の坂本宿とこの和田宿に五〇両づつ下付し、文政一一年(一八二八)に設置された施行所の一つである。
 十一月から三月まで峠を越える旅人に粥と焚火を、牛馬には年中小桶一杯の煮麦を施行した。
 その後、山抜けにより流出したが嘉永五年(一八五二)現在地に再建され明治三年までつづけられた。

 なお村誌によると、施行所としての役割を終えた後は、鍛冶足(かじあし)(※)出身の工藤氏が長久保‐下諏訪間に定期小荷物運搬業を開始し、茶屋を兼ねてここを使用したという。

※ 村内の地名。本文での表記は「鍛治足」

 


写真1 再現された茶屋の家屋


写真2 墓地


写真3 馬頭観音など


写真4 大山祇神

写真5 奥に碑

写真6 旧街道と灯籠

 

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