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◆滝沢(たきざわ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大河原」(昭和27.9)を使用したものである

所在:大鹿村大河原(おおがわら)・中川村四徳(しとく)
地形図:鹿塩/大河原
形態:谷沿いに家屋が散在する
標高:650〜700m
訪問:2006年5月・2013年11月

 

 大字大河原の北西部、小渋(こしぶ)川支流の中川・大鹿両村の境界の谷(中山沢?)沿いにある。家々は小渋川との合流部付近から谷沿いにかけ、大鹿・中川両村にわたって分布していたよう。合流部付近は小渋ダムの人造湖(小渋湖)に水没している。
 下流には小渋ダムが造られ、ダム湖(小渋湖)ができる等整備が進み、県道付近には昔の面影はほとんど見ることはできない。沢の左岸には鋪装道路が延び、終点はごみの処分場になっている。ここから沢沿いに少し入ると、かつての住民が残したと思われる小径がある。道沿いには屋敷跡や酒壜、耕地の跡も残る。さらに進んだところにも屋敷跡があり(写真2)、これはダム建設よりもずっと前に移転したよう。
 合流部の沢の右岸には、集落由来と思われる何かの碑(写真7)が立っている。また工事関係の車輛や事務所があったが、奥に進む道は見つからなかった。
 2013年、合流部付近のみ再訪。大鹿側の国道脇で屋敷跡や墓を確認。墓の脇には庚申塔・山神・三十三夜塔も置かれている(写真6)。また先述した中川側の「何かの碑」は供養塔と判明。なお前回訪問時にはなかった滝沢トンネルが開通しており、出入口の袂には碑と地蔵が置かれていた(写真8)。碑は平成17年5月の落石による犠牲者を悼んだもので、安全のために滝沢トンネルが開通したとのこと。また地蔵は「境地蔵」で、昭和36年6月の豪雨で流出したが災害から50年目に復元された。

 


写真1 何かの敷地(以下2006年撮影)


写真2 屋敷跡


写真3 滝沢バス停(以下2013年)


写真4 屋敷跡の遺構


写真5 石仏


写真6 石塔群(左)と墓(右)


写真7 供養塔。「奉真讀高王經千部」とある


写真8 碑(右)と地蔵(左奧)

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