※飯田市・喬木村ページ共通


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◆堂屋敷(どうやしき



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「時又」(昭和32.3)を使用したものである

在:飯田市千代(ちよ)/喬木村(大字なし)
地形図:上久堅
/時又
形態:稜線上に家屋が集まる
標高:約1,330m
訪問:2013年11月

 

 大字千代の北東部、喬木村(氏乗(うじのり)地籍)と飯田市千代との境界付近にある。秋葉(あきは)山の秋葉大権現(静岡)への参詣道・秋葉街道に面する。地図を見る限り街道が飯田市および喬木村の境界となっており、宅地はこの両方に立地しているよう。
 『上久堅村誌』によると、江戸末期から明治初年にかけ農業用の石灰を生産し、茶屋もあったという。

 現地はやや平坦な尾根上にあり、屋敷跡や農地跡がそれとなく分かる。喬木村側では遺構等の生活の痕跡は何も見られず。なお「金比羅様」付近から上村の清水(しみず)集落までの区間は徒歩でしか通行できないが、現行の国道256号線となっている(2013年12月現在)。

 以下は現地の説明板より(飯田市・上久堅観光協会および秋葉街道自然歩道建設促進期成同盟会による)。


 小梨の大木や、宅地や耕作地の跡である様な平坦な場所が点在する。ここは昭和初期まで千代村の野池の人達が石灰を焼いた所で、伊那谷の農家では水田の肥料にこの石灰が必要不可欠な物であって〔石灰つけ〕の馬で賑った。
 遠山郷の人達の郵便物は、この街道を利用して逓送されていて、ここに居た沢田一代宅が交換所として利用されていた。此れも昭和十一年には廃止された。又峠を通らずに、
小川沢に通ずる新道〔ボーズッタ線〕もここから分かれている。

 


写真1 屋敷跡


写真2 段々の農地跡

写真3 集落手前の石仏

写真4 集落内の石仏群

写真5 標柱。上にやかん

写真6 地名の看板

(写真7 堂屋敷‐ひいる場間の木地師の墓)

 

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