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◆戸台(とだい)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「市野瀬」(昭和34.12)を使用したものである

所在:伊那市長谷黒河内(はせ くろごうち)
地形図:甲斐駒ヶ岳/市野瀬
形態:川沿いから斜面にかけて家屋が散在する
標高:約1,000m(中心部)
訪問:2025年11月

 

 大字黒河内の南西部、小黒川(三峰(みぶ)川支流)と戸台川との合流部付近にある。

 県南部のニュース・情報を発信するウェブサイト「伊那谷ねっと」によると、当地は南アルプス登山口として、また炭焼きや林業などで昭和38年頃まで栄えた集落であるとのこと。昭和34年の伊勢湾台風や同36年の豪雨(三六災害)などの災害や、出稼ぎなどで離村が進んだ。

 村誌によると、発電所により成立した集落として挙げられている(※1)。戸台発電所は大正15年9月完成。
 また昭和14年に帝室林野局伊那出張所戸台伐木所が開設(※2) 。昭和18年に事業所が小黒川に移転するまで存在した。またこの時戸台の白岩まで自動車道(河原道)が新設され、蟹坂(※3)から森林鉄道の敷設も進んだ。
 世帯数は昭和36年34、平成元年7。
 以下は美和小学校戸台分校・美和中学校戸台分校の主な沿革。

(小学校)
 明治30  美和尋常小学校戸台分教場開設
 大正3  校舎流失。仮校舎での授業となる
 昭和10  新校舎落成
 昭和22  美和小学校戸台分校となる
 昭和34  伊勢湾台風により、校舎は甚大な被害を受ける
 昭和35  新校舎落成
 昭和39  閉校

(中学校)
 昭和24  美和中学校戸台分校開校
 昭和34  伊勢湾台風により、校舎は流失
 昭和35  新校舎落成
 昭和39  閉校


 当地は南アルプス登山の開拓者・初代竹沢長衛(たけざわ・ちょうえ) 氏の出身地でもある。氏は千丈岳・駒ヶ岳の登山道を開き、また昭和5年には野呂川の上流に長衛小屋、その後戸台川上流(藪沢)に藪沢小屋を建設し、登山者の便宜を図った。
 なお地図画像に記されている軌道は黒河内森林鉄道。昭和14年9月に着工、昭和16年に小黒川と戸台川の奥まで完成し、同年より木材輸送が行われた。昭和20年には戸台川沿いの軌道が撤去され、次いで小黒川沿いの軌道も順次撤去され、昭和31年には小黒川谷よりトラック輸送が始まった。

※1 ただしそれ以前にも人家が存在しており分教場も開設している
※2 集落内に存在していたことを示す記述がなく、詳細な位置は不明
※3 現在の仙流荘(宿泊施設)の位置


 当初は訪問対象としていなかったため、探索は発電所より上流(地名表記付近)の一帯のみ。かつての学校もここにあったが、現在は宿泊施設の建物が建っている(現在は廃業)。ほか数戸の空家や廃業した宿泊施設、秋葉神社が見られ、鳥居の前や境内には道祖神・〓玉大神(※4)・庚申塔・大新宮といった複数の石造物が置かれている。
 地形図に記された記念碑は、水野甚三氏の胸像と碑(写真2)。氏は富山県出身で、黒河内国有林において造林や治山の事業を請け負っていた人物であるとのこと。
 先述の竹沢氏の生家は、いくつかの資料の記述から戸台川からかなり登ること、集落でも最も高い場所にあるとのことなので、発電所の東およそ720m、標高およそ1,140mにある宅地だろうか。
 なお過去の航空写真より、下流側(戸台大橋周辺)では少なくとも右岸の道沿いに1箇所、左岸(戸台大橋を渡った先)に2箇所の人家があったよう。

※4 〓は神の下に虫

 


写真1 食堂跡。左に戸台バス停が見える

写真2 水野氏の像と碑

写真3 学校跡(のち宿泊施設用地)

写真4 何かの建物

写真5 宿泊施設跡

写真6 小屋

写真7 家屋

写真8 櫓

写真9 石造物群(左から天神宮・庚申塔・庚申塔)

写真10 石仏。「文政四辛己(表記ママ)三月吉日/女人施主村中」とある

写真11 神社鳥居

写真12 境内の石造物群(左から馬頭観世音・甲子塔・大国神)

写真13 拝殿?

写真14 神社の祠

 

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