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◆小瀬戸(こせと)

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「大河原」(昭和32.6)を使用したものである
所在:伊那市長谷浦(はせ うら)
地形図:間ノ岳/大河原? 形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約1,100m
訪問:2025年11月
大字浦の中部北東寄り、三峰(みぶ)川(瀬戸峡)と小瀬戸谷との合流部付近にある。最近の地図でも道路沿いにいくらかの建物が記されている。
村誌によると、昭和初年営林局による国有林の開発によって、伐木のための集落が成立したとのこと。昭和38年8月の伊勢湾台風により「浦の営林署の集落」が全滅したとあるが、当地を指すと思われる。「営林署(浦)」の表記で、昭和36年28世帯。なお三峰川渓谷の探勝と塩見(しおみ)岳登山者のための宿があるとのことだが、これは既に廃業しているよう。最近の地図でも「小瀬戸ノ湯」の表記が確認できる(レポート作成は2013年)。
2025年訪問。過去の航空写真では小瀬戸谷との合流部付近にまとまった建物が写っており、この場所ではそれらの遺構が複数確認できた。
また鉱泉施設跡では、建物の痕跡はほぼ残っておらず平坦部が広がるのみ。橋も既になくなって久しいようだが、この中継地点の岩の上で水神(後述)を祀った跡が見られた。資料の閲覧が事後であったため、弘法大師の文字塔や山神は未確認。弘法大師塔は、一瞥した限りでは見られなかったが移設されたのだろうか。
資料『奥三峰の歴史と民俗』によると、昭和13年当地に浦伐木事業所が開設され、8月には浦森林鉄道が着工したたとのこと。作業開始は昭和14年の1月1日とされる。営林署の事業が盛んな頃は売店もあった。
昭和36年の大洪水で、小瀬戸の営林署関係全域が潰滅した。軌道は、昭和36年杉島‐戸草間廃止、同38年戸草‐小瀬戸間廃止、同39年小瀬戸‐荒川間廃止。
小瀬戸の湯の由来は確かな資料はないが、起源は明治初期であるよう。
明治から昭和にかけて、何人かが施設の経営にあたった。大正時代が水川氏、昭和に入ると群馬県から来た林氏の一家が経営した。昭和14、5年頃林氏が経営をやめ、保久曽に住むようになり、施設は休業状態になった。
なお施設は、西端が浴場、中央が住居、東端が2階建ての客室であった。
昭和19年、営林署が小瀬戸の湯を買収し、山の旦那(山林仕事の監督)であった鈴木氏夫妻が経営者となった。営林署は小瀬戸の湯を管下の保養所としたため、一般の湯治客は絶え、来客は専ら営林局・営林署関係や他の役所の職員であった。また鈴木氏は、右岸にあった山の神様(大山祇神)を保養所裏手の山に移した。
昭和42年鈴木氏は経営をやめたが、その後3年ほどは妻が管理に当たっていた。
昭和54年、来客減少のため保養所は長谷村に払い下げられた。村はこの湯を改築し、村営の「小瀬戸鉱泉塩見荘」とした。
なお敷地内には弘法大師の文字塔(大正2年建立)、吊り橋西側の岩の上には水神の小祠、塩見荘上300mの山中には山神の小祠がある。
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