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◆池ノ茶屋(いけのちゃや)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「鰍澤」(昭和7.11)を使用したものである

在:富士川町平林(ひらばやし)
地形図:奈良田/鰍沢
形態:峠付近の一軒家
標高:約1,670m
訪問:2020年11月

 

 大字平林の西部、戸(と)川(富士(ふじ)川支流)の最上流部の鞍部にある。櫛形山(くしがたやま)から南西におよそ2.2km。
 現地には林道(丸山線)が通じており、容易に車輛での訪問が可能(ただし訪問時は工事中であったため、丸山支線より池ノ茶屋線を経由し迂回)。
 旧版地形図には池の東に茶屋が記されているが、携帯用の地図に記入し忘れていたため跡地はよく確認せず。工事の詰所のプレハブが置かれた小さなスペースがあったと記憶しているが、跡地はこの辺りと思われ一部は林道の用地となっているよう。
 なお最近の地形図に記されている「記念碑等」の記号は、「千町歩造林碑」で茶屋に関するものではない(写真5)。
 読みは当地の看板(写真4)のローマ字表記より。

 また書籍『山の旅 明治・大正篇』の「白峰の麓」(※)の項目中には、当地への宿泊の記録がある(訪問は明治42年11月)。これによると、茶屋は簡素で池のそばに1軒。山に上ると富士山がよく見え、ほか赤石岳や悪沢岳も望むことができるという。
 家屋については「入口の腰障子を開けて入ると、すぐ大きな囲炉裡がある。(略)突き当りは棚で、茶碗やら徳利やらが乱雑に列【なら】んでいる。左の方は真暗で分からないが、恐らく家族の寝間であろう」とある。
 客室については、「通されたのは池に面した座敷で、(略)ただ五、六枚の畳が置いてあるというだけで、障子もなければ襖もない。天井もない。のみならず、数十羽の鶏の塒は、この部屋の一部を占領して高く吊られてある」とある。
 居住者は夫婦と子供が2人で、冬になると平林へ降りるという。また女将が水飴を勧める描写があり、これは売り物であったよう。
 日当たりは悪く、冬は雪もかなり深い。池からは氷が採れ、厚く張る時は二尺を越えるという。

※ 大下藤次郎(おおした・とうじろう)による紀行文。明治43年美術雑誌「みずゑ」にて初出。大下氏は明治時代の水彩画家

 


写真1 現地の三叉路。右は池ノ茶屋林道始点

写真2 池。写真右上が茶屋跡か

写真3 案内図

写真4 看板

写真5 碑

写真6 付近から南東方向を望む。右は富士山

写真7 付近から西方向を望む

 

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