◆吉谷(よしたに)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「永平寺」(昭和23.1)を使用したものである
所在:坂井市丸岡町吉谷(まるおかちょう―)
地形図:丸岡/永平寺
形態:山中に家屋が集まる
標高:約320m
訪問:2012年11月
町の北東部にある。
現地で見られた主な建造物は、吉谷寺跡に建つ不動明王尊遥拝堂(写真1)と同護摩堂(写真2)、および白山神社の社殿(写真4)。不動明王は集落北側、不動滝の上部に祀られる(写真7)。護摩堂には「不動堂300m先 遥拝所200m先」との案内があるが、不動堂は確認できず。「遥拝所」とは先述の遥拝堂とは別のものか。また別の看板には「不動堂参道口には拝殿が残っている」との記述もある。宅地は集落の南側の緩い平坦地にあったと思われ、ここでは屋敷跡のような平地や広い農地跡、小屋が見られた。
以下は「吉谷不動堂と火燈山」の説明板より。
泰澄(たいちょう)大師越前巡錫の砌りこの地にささやかな一宇を建立されて朝に峰より(火燈(ひともし)山)霊峰(白山)を拝し夕に秘法を荒滝に求め衆生済度の大願を行ぜられたと云う。
大師御立錫の後も修行者絶えず遂に山間避遠(表記ママ)の地に堂塔竝び建ち平泉寺豊原寺吉谷寺と共に栄えた。天正年中越前一向一揆の折灰燼に帰す。火のともる山から火燈山の名を残し、千二百有余年後の今、鉄の鎖で岸壁を登ると十余米の岩窟が滝の裏に広がり、大師の御霊 目前に拝する心地がする。往時末世の佛縁を祈念せられ一体の不動尊像を刻まれたと云う。今も本尊が不動堂の奥深く安置されている。
なお大字吉谷は近世の坂井郡吉谷村。明治22年竹田村(のち丸岡町)の大字となる。大正9年7戸43人、昭和10年5戸34人、同30年4戸19人(角川)。
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