◆堂(どう)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「鶴來」(昭和34.10)を使用したものである
所在:金沢市堂町(どうまち)
地形図:鶴来/鶴来
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約220〜270m(水面は約220m)
訪問:2011年8月
市の南部、内川右岸にある。
ダム建設により移転したが、川とダム湖の境目付近にあり完全な水没はしていない。家屋は全て右岸だが、学校は左岸。川岸には橋の跡が残る(写真2)。集落跡は、斜面にある上部と川沿いにある下部に大分される。上部には八幡神社の跡(写真4)があり、川へ向かって段々になった屋敷跡となっている。神社跡には堂町保存会による「八幡神社之跡」の碑が建つ。下部は川岸の広い平坦地(写真9)。集落の南、堂大橋付近には発電所がある(写真10)。またダムから集落跡へ向かう途中には堂の遭難者の碑がある(※)(写真11)。
※ 大正9年南京風邪が流行、風吹峠を越え鶴来町へ薬をもらいに行った帰りに雪崩に遭い、7名の死者を出した。堂町の入口にその犠牲者の碑があったが、現在は風吹峠側に移されている(角川)。
以下は『内川の郷土誌』より離村直前?の各戸の様子(下流より。1-19は下部。20-28は上部)。多くが農業を営むほか、会社員や大工も複数見られる。
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姓 |
屋号 |
移転先 |
1 |
辻 |
子左衛門 |
横川(よこがわ) |
2 |
有沢 |
四与門 |
〃 |
3 |
竹口 |
あじち |
〃 |
4 |
西川 |
川向い |
〃 |
5 |
岩内 |
とくらう |
〃 |
6 |
中村 |
でんべい |
〃 |
7 |
山下 |
きょもん |
〃 |
8 |
水上 |
仁左衛門 |
〃 |
9 |
中山 |
徳平 |
〃 |
10 |
川端 |
とうべい |
〃 |
11 |
水内 |
徳兵衛 |
額新保(ぬかしんぼ) |
12 |
〃 |
おじやくとこ |
〃 |
13 |
中川 |
あてや |
〃 |
14 |
升口 |
次郎平 |
〃 |
15 |
山上 |
六九郎 |
〃 |
16 |
山下 |
兵隊 |
〃 |
17 |
宮下 |
宮の下 |
〃 |
18 |
山形 |
さんじょもん |
〃 |
19 |
岩内 |
みょとこ |
〃 |
20 |
山本 |
がけ |
〃 |
21 |
小坂 |
(記載なし) |
市内 |
22 |
〃 |
ろかとこ |
横川 |
23 |
山岸 |
もと |
〃 |
24 |
小坂 |
せいもん |
〃 |
25 |
〃 |
ばばとこ |
〃 |
26 |
宮村 |
ごよもん |
〃 |
27 |
宮下 |
よじろ |
〃 |
28 |
山本 |
うらしようじ |
〃 |
また以下は「角川」などより学校の沿革。
明治18 |
巡回授業所設置 |
明治20 |
簡易科堂小学校となる |
明治25 |
内川小学校の分教場となる |
昭和22 |
堂分校と改称 |
昭和45 |
閉校(HEYANEKO氏調べ) |
なお「堂町」は近世の石川郡堂村。明治22年内川村の大字となり、昭和29年金沢市の町名となる。明治22年35戸214人、昭和45年19戸45人(角川)。
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