◆水無(みずなし)
所在:南砺市利賀村水無(とがむら―)
地形図:角川/飛騨古川 白木峰/白木峰
形態:川沿いに家屋が散在する
標高:1,000m前後
訪問:2011年6月
村の南部、利賀川最上流部(水無谷)にある。
現在は家屋が1軒と小屋が1軒残り、いずれも滞在できるように管理されている。神社(八幡宮)(写真3)の石段の前には神社の由来を記した碑があり、これによると昭和年代に16戸120余人が暮らしていたという。また「水無川」の地名は伏流水に由来しているよう。
訪れていた出身者の方々の話では、後述の「おもや」が最後の1軒。現在も時々戻って自家発電で暮らしているという。現在はトタン葺きの簡素な家だが、昭和17、8年に火事があり立派な合掌造りの家が焼けてしまったという。また学校(利賀小学校水無分校)は神社くらいの高さにあり、地面に遺構が残っているものの、現在は行くのは難しいとのこと。
以下は村史より、学校の沿革。
(明治35) |
(大勘場(たいかんば)分教場(のちの千束(せんぞく)分校))が開設、校区となるが、遠隔地のため通学は不可能であった) |
(大正年間) |
(巡回教授が行われるようになる) |
昭和4.4.19 |
中山氏宅を借用して分教場開設 |
昭和5.4 |
山本氏所有の納屋に移転 |
昭和9.11 |
校舎を新築 |
昭和41.4 |
廃校(※) |
※ ただしHEYANEKO氏調べでは昭和42年閉校
また以下は世帯数・人口の推移
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明治5 |
明治22 |
昭和5 |
昭和10 |
昭和30 |
昭和40 |
昭和50 |
昭和63 |
平成5 |
平成16 |
戸数 |
2 |
2 |
3 |
7 |
13 |
12 |
2 |
2 |
2 |
1 |
人口 |
12 |
15 |
28 |
41 |
72 |
72 |
4 |
3 |
3 |
2 |
資料『村の記憶』によると、無人化は昭和45年。括弧の状況は以下のとおり。
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屋号 |
姓 |
備考 |
1 |
おもや |
山本(やまもと) |
現在も夏期に生活 |
2 |
ふるうち |
〃 |
子世代は転出、世帯主は集落にて死去 |
3 |
こせ |
〃 |
〃 |
4 |
山岸 |
〃 |
〃 |
5 |
高清水 |
酒井 |
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6 |
おえ |
高桑 |
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7 |
たかした |
〃 |
|
8 |
ししだん |
中村 |
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9 |
ほりみち |
高熊 |
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10 |
にし |
中山 |
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11 |
なかにし |
〃 |
|
12 |
よものたん |
〃 |
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13 |
こや |
前川 |
子世代は転出、世帯主は集落にて死去 |
14 |
くら |
山本 |
〃 |
大字水無は、近世の礪波郡五箇山(ごかやま)利賀谷の水無村。明治22年利賀村の大字となる(角川)。
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