◆座主坊新(ざしゅぼう しん/ザスンボー シン)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「五百石」(昭和32.3)を使用したものである
所在:立山町座主坊新
地形図:五百石/五百石
異表記:新村(しんむら)・座主坊新村
形態:川の合流部付近に家屋が集まる
標高:約260m
訪問:2011年6月
栃津(とちづ)川上流部にある。
集落入口付近には戦歿者を弔った「忠魂碑」があり、また車道両側の植林地内で墓地や屋敷跡数箇所が確認できる。家屋は現在の車道に沿って何軒も並んでいたよう。
町史によると、地名の由来は、永正年間に神明宮を造営した人が座主坊(ざしゅぼう/ザスンボー)の出身であったことによる(※)。昭和20年代には12戸を数えたという。移転の際、神明宮(=座主坊新字上沢16番地)も宮路の神明社に合祀。
資料『村の記憶』によると、無人化は昭和47年。町内の岩峅寺(いわくらじ)や宮路(みやじ)などに移住。薪炭の製造や植林が主な仕事で、水田は少なかった。
なお大字座主坊新は近世の新川郡末荘の座主坊新村。明治22年上新川郡布倉(ぬのくら)村(のち立山村→立山町)の大字となる。(角川)。「角川」刊行当時は神明宮がまだ存在し、祭礼に旧村民が集まっていたよう。
※ さらに座主坊の地名の由来は、立山の開祖・佐伯有頼(さえきのありより)の従者であった座主坊という僧がこの地に滞在したことによる
|