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◆障子倉(しょうじくら)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「西赤尾」(大正2.11)を使用したものである

所在:南砺市障子倉
地形図:下梨/下梨
形態:川沿いの斜面に家屋が少数集まる
標高:約250m?
訪問:2011年6月

 

 村の北部、庄(しょう)川左岸にある
 村史によると、村社は神明社。昭和17年夏焼(なつやけ)の神明社に合祀。各戸の状況は以下のとおり。

番号 屋号 移転時期 移転先 人数
1 かいち 野原 明治41.3 北海道羽幌町(当時羽幌村) 7人
2 みずかみ(水口) 上野 明治41.4 同士別市(当時士別村) 8人
3 おにしや 岡部 明治37.7 北海道(※) 2人

※ 本文では「木〓(木へんに曽)郡字北俣番外地」とあるが、該当する場所は不明


 離村後は祖山(そやま)の人が土地を譲り受け、籠の渡しで通い耕作をしていたという。明治44年転落事故があり、翌年吊り橋が架設されることとなった。
 「角川」には「明治中期になって産物が振るわなくなり離村。集落跡は倉庫・工事用材置き場・プラントに使われている」とある。大字障子倉は、近世の礪波郡五箇山(ごかやま)小谷(おたに)の障子倉村。明治22年平村の大字となる。明治5年2戸11人。

 先のとおり現地は国道西側に倉庫やプレハブが建ち、東側は駐車スペースと憩いの場となっている。この一帯は旧版地形図では傾斜の緩い桑畑となっているものの、既に集落名と建物の記載はないためこの付近に人家があったのかは不明。
 なお地図サイトより、現在は倉庫より南は大字祖山の領域となっているよう。

 


写真 倉庫など(奥)と憩いの場(手前)。建物より右が大字障子倉。

 

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