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◆上中田(かみなかだ)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「下梨」(昭和32.8)を使用したものである

所在:南砺市上中田
地形図:西赤尾/下梨
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:高速道路建設
標高:約350m
訪問:2011年6月

 

 村の中部、庄(しょう)川右岸にある。調査の際は見落としていたが、国道を走行中に存在を偶然知ることができた。
 現地にある「上中田集落跡」の碑(写真1)には、竹中2・西・東・山口各1の5軒および「少彦名社」と「念仏道場」が記載されている。古い地図の寺院の記号は、この念仏道場のことだろう。集落の面影はほとんど残っていないが、国道と高速道路に挟まれた僅かな土地に、現在も耕されている小さな畑がある(写真2)。石垣が往時を偲ばせる。
以下に碑の全文を記す。


 集落跡記念碑

 東海北陸自動車道、五箇山・福光間は、平成二年十二月二十八日綿貫民輔建設大臣によって施行命令が出され、日本道路公団により諸準備と工事が着々と進められた。平成十二年九月三十日上平村民の長年の念願でありました五箇山・福光間が開通し、続いて平成十四年十一月十六日には白川郷・五箇山間が開通しました。
 この開通には、上平村の発展のため用地の提供や工事の促進に関係村民の並々ならぬ協力がありました。なかでも五箇山インターチェンジ建設は上中田集落全戸が移転するという計画で、上中田の人々の協力は、断腸の思いの決断でありました。
 平成十六年十一月の町村合併を迎え上平村の閉村にあたり、ここに上中田集落の人々の尊い協力を顕彰し、この地に上中田集落があったことを子々孫々に伝えるためこの碑を建立するものである。

 平成十六年十月吉日


 「角川」によると、明治以降は養蚕を中心とする農業や蚕糸・織物の家内工業をしていたという。また大字上中田は近世の礪波郡五箇山(ごかやま)赤尾谷の中田(なかだ)村。郡内に同名の村があったため、明治15年頃上中田村と改称。明治22年上平村の大字となる(角川)。

 


写真1 碑

写真2 畑地

 

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