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◆大江(おおえ



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「守門岳」(昭和22.6)を使用したものである

在:三条市大谷
地形図:光明山
/守門岳
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設

標高:約210m(水面は約200m)
訪問:2016年11月

 

 大字大谷の南西部、五十嵐(いからし)川沿いにある。大谷ダム建設に伴い離村したが、ほとんど水没はしていない。
 現地では国道沿いを中心に一瞥したのみであったため屋敷跡等は未確認だが、山側には神社(神明社)の跡がはっきりと残されている。神社跡の碑(平成4年設置)によると、水没に伴い昭和54年に八木神社(※)に合祀されたとのこと。また氏子は吉田9・酒井6・今井・前田各1の計17戸。
 付替国道沿い、大谷を見下ろす広場には「望郷の地」の碑が建ち、大江・大谷について言及されている。以下は碑文。


 昭和四十四年新潟県が洪水調節及び、水道揚水用水供給の目的でこの地にダム建設を計画した。爾来、大江 大谷の住民で結成されたダム対策協議会と、約十三年間の慎重な協議の結果、深い理解と協力により、昭和五十三年三月移転補償基本協定が合意され、先祖伝来の尊い土地と大谷七百年、大江四百年の永い歴史を閉じることとなった。
 公共の利益に思いを致し、郷土への切なる愛着を断って、この地を離れなければならなかった大江、
大谷住民の心情を察するとき誠に感慨無量である。
 今は湖底に沈んだ大江、
大谷部落がここに在ったことを永遠に残すため、故郷を離れた四十六世帯の氏名を明記して、深い懐古の情と、新天地に於て限りない発展を祈り、この地に記念碑を建立するものである。


 なおHEYANEKO氏によると、当地には森町(もりまち)小学校大江冬季分校があったとのこと(昭和54年閉校)。

※ 旧森町(もりまち)村の中心地にある八木神社と思われる

 


写真1 大谷ダム


写真2 集落跡付近(残土?により嵩上げ・整地されている)

写真3 集落跡の一部(嵩上げ部分より俯瞰)

写真4 神社跡。石段と「大江神明社旧参道」の碑


写真5 神社跡。社殿跡に建つ「大江神明社社殿址」の碑


写真6 大江大橋と五十嵐川

写真7 往時の生活の様子。左上は学校(資料館にて)

 

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