戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆内須川(うちすがわ



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小國」(昭和22.9)を使用したものである

在:関川村下関(しもせき)
地形図:安角
/小国
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:内須川―約40m 中村―約50m? 入村―約50m
訪問:2017年11月

 

 大字下関の西部、赤谷川(荒(あら)川支流)沿いにある。現在の内須川集落は南赤谷(みなみあかだに)や勝蔵(しょうぞう)に近い位置にあるが、ここでは当集落が移転する前の旧内須川について述べる。現在の内須川集落の南およそ650mの上流側。
 村史によると、昭和42年の羽越豪雨で家屋や田畑が流失し、11戸52人が現在地に移転したとのこと。山神社と神明社を合祀した大山祇神社が氏神。昭和13年15戸104人、同35年15戸97人。
 「角川」によると、大字内須川は近世の岩船郡内須川村。明治22年関村(のち関谷村→関川村)の大字となる。寛保2年23戸89人、大正9年16戸98人、昭和10年15戸105人。入村・中村・内須川(古くは奥村・中村・出戸村の呼称)の3小集落があったが、羽越水害後住民の大半が下関に移転。杉材の産出や、赤谷川沿いでの稲作を行っていたという。
 現在「内須川」では小屋の類が数棟建ち、水田が耕作されている。神社も管理され、境内にはいくらかの石塔も見られる。集落の入口付近には墓地(加藤家4戸分)(写真8)があるが、往時からこの地にあったものかは不明。
 「中村」の位置は上の地図画像で地名の記載がなく不明だが、「入村」の上にある家屋群と思われる。ここでは屋敷跡を1箇所確認(写真9)。
 「入村」では、最近の地図でも建物が1箇所記されているが、痕跡は皆無(写真12)。付近には「先祖加藤市郎右衛門之墓」(写真13)があり、かつて加藤家の宅地であったと思われる。

 

≪内須川≫


(写真1 団体営農道内須川線起点)


写真2 集落風景

写真3 水田と小屋

写真4 神社。鳥居と石段

写真5 同。社殿

写真6 参道の石塔群。中央は庚申塔

写真7 境内の石塔(湯殿山)

写真8 墓地
≪中村?≫

写真9 屋敷跡

写真10 写真9にて

写真11 農地跡
≪入村≫

写真12 屋敷跡付近

写真13 墓

写真14 農地跡

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ