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◆畑(はた



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「小國」(昭和22.9)を使用したものである

在:関川村片貝(かたかい)
地形図:小国
/小国
形態:山中に家屋や施設が集まる
離村の背景:産業の衰退、最終は災害

標高:約230m
訪問:2017年11月

 

 大字片貝の北部、大里沢(荒(あら)川二次支流)右岸側の山中にある。若〓(わかぶな)(※)の西南西およそ1q。かつて「畑鉱山」があった集落。
 手持ちの道路地図では大字畑の所在だが、諸地図サイトでは大字片貝となっている。大字としての畑は存在せず、現在は廃止か。
 村史によると、明治7年船山氏が銅鉱を発見。採掘・精錬は明治35年より長岡合名会社により行われた。最終的には藤田鉱業株式会社が経営し、昭和20年閉山。最盛期には従業員220人が就労した。大正9年23戸83人、昭和10年55戸303人、昭和35年10戸36人。昭和42年の羽越豪雨による水害の後離村とのこと。
 また「角川」によると、大字畑は近世の岩船郡畑村。明治22年、九箇谷村(のち関谷村→関川村)の大字となる。享和頃3戸16人、大正9年23戸83人、昭和10年55戸303人。集団移転先は片貝地区ほか。
 沼(ぬま)方面より訪れると、まず車道沿いに小さな社が集まっている場所が見られ、この付近が往時の居住地区であったよう。道を挟んで数基の墓が見られるが、屋敷跡の痕跡は少ない。続いて鉱区では、道路沿いにいくらかの遺構を確認。遺構付近から分かれる枝道を中心に山林内も探索してみたが、他の遺構らしいものはほとんど見かけることはなかった。
 HEYANEKO氏によると、当地には沼小学校畑冬季分校があったとのこと。昭和41年閉校。

※ 〓は木へんに無

 


写真1 小社群(以下居住区)


写真2 墓地にて

写真3 同

写真4 平坦地

写真5 道路沿いの石垣

写真6 建物跡?

写真7 建物跡?

写真8 設備の遺構と看板(右の白い板)(以下鉱区)

写真9 ズリ

写真10 施設の遺構

写真11 電気関係の遺物

写真12 施設の遺構

写真13 何かの跡地?

写真14 枝道の擁壁

写真15 池

写真16 平坦地

写真17 平坦地

写真18 朽ちた木材?

 

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