◆山野田(やまのた)
※ この地図は、内務省地理調査所発行の1/50,000地形図「岡野町」(昭和22.3)を使用したものである
所在:長岡市小国町山野田(おぐにまち―)
地形図:岡野町/岡野町 法坂/岡野町
形態:山中に家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約210m
訪問:2016年11月
町の南部、増沢川・田沢川(いずれも渋海(しぶみ)川支流)に挟まれた山中にある。
資料『復興へ 中越地震』およびおよび「角川」によると、当集落は小国和紙発祥の地。往時は製紙が盛んに行われ、大半の家が紙漉きを手掛け一番の現金収入であったという。原料のコウゾは小国・鯖石方面より集められていた。小国和紙は、昭和48年国の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、同49年県の無形文化財に指定。しかし出稼ぎ等で他に収入を求めるようになり、製紙は減退。昭和60年には姿を消した。
昭和63年4月、地区の振興・文化の継承を目指すべく住民たちが中心となり山野田振興組合を結成。同年5月「小国芸術村」が発足し、「小国芸術村会館」(貸工房・創作展示施設)・「小国和紙の館」(展示・講演・宿泊の施設)・「国際交流の館」(スイス・ロマンモティエとの姉妹都市提携を記念したもの。休憩・宿泊可)が開館(町広報誌〔昭和63年5月発行〕より)。
平成16年10月に発生した中越地震で住宅のほとんどが全壊。全9世帯が仮設住宅に避難し、全戸が「山を下りる」ことを検討。
平成18年町内太郎丸(たろうまる)に集団移転の宅地が完成し、9戸のうち4戸が入居した(他は個別移転)。この年4月には集落に通じる県道が復旧し、小国芸術村会館も再興。現在でも集落に通い管理が行われている(市広報誌〔平成18年10月発行〕より)。
昭和12年88戸、同55年34戸、同63年14戸47人、震災直前9戸27人。大字の山野田は近世の刈羽郡山野田村。明治22年増田村の大字となる(のち上小国村→小国町)。
現地には多くの建物が見られ、一見して無住地とは気が付かない。比較的新しい建物も多いが、倒潰を免れた往時からの木造家屋も見られる。神社は十二神社で、鳥居や灯籠、石祠(※)が真新しい。境内には復興記念碑が建てられている。集落東部、小高い場所に向かう道にある1対の石柱は学校跡の門柱と見られ、この先には1970年代の航空写真でも大型の建物を確認。
以下は復興記念碑の碑文(スペースは当方が適宜加えている)。
平成十六年十月二十三日発生の新潟県中越地震で 私供は甚大な被害を受ました 二年余りの避難生活後 私達は去り難いこの地を集団移転と移住を決め復興を記念し 山野田住民の幸を願ってここに記念碑を建立します。全国からの多大な励ましを頂き支援に感謝すると共に 自然の猛威と人間の復興への力強さを永く伝えるものです
なおHEYANEKO氏によると、当地にあった学校は上小国小学校山野田分校(昭和55年閉校)。
※ 「角川」にも「石祠の十二神社がある」とあり、震災により社殿が倒潰したものではないよう
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