◆柳生戸(やなぎうど)
※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「塩野町」(昭和22.2)を使用したものである
所在:村上市柳生戸
地形図:三面/塩野町
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約210m
訪問:2017年11月
大字柳生戸の西部、長津川(三面(みおもて)川支流)沿いにある。
長津川沿いの道路はなく、訪問の際は隣の小揚(こあげ)川より才ノ神峠(写真1)を越える林道(柳生戸線)を利用することになる。
現地には簡素な小屋が1棟(写真1)。道路沿いを中心に屋敷跡も複数確認できる。橋より上流の川沿いに広がる平坦地は水田でであったようだが、現在は荒蕪地。左岸の道路沿いには「牛馬為安通」「天保七申」と刻まれた石塔が置かれている(写真17)。なお最近の地形図で記されている墓地は、痕跡も確認できないほど何も残っていない。
村史によると、明治3年13戸62人。
「角川」によると、大字柳生戸は近世の岩船郡柳生戸村。明治22年長津村(のち館腰村→朝日村)の大字となる。延享頃10戸58人、明治22年頃13戸62人。昭和56年全戸が古渡路(ふるとろ)に移転。神社は大山祇神社。越後・出羽国境の大峠を越え米沢藩領小国へ通じる山道はかつて塩の道と呼ばれ、塩・塩干魚・茶などの輸送路であった。村上藩では古くから当地に番所を置いていたとのこと。
HEYANEKO氏によると、当地には長津小学校柳生戸分校があったとのこと。昭和57年閉校。「角川」によると、明治44年、長津小学校の分教場として設立。
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