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◆仲川(なかがわ)



※ 明色部(凡その範囲であり、必ずしも正確に表しているものではない)
※ この地図は、参謀本部発行の1/50,000地形図「横須賀」(大正10)を使用したものである

所在:逗子市池子(いけご)
地形図:鎌倉/横須賀
形態:谷沿いに家屋が集まる
離村の背景:国軍による接収
標高:約10m
訪問:(2024年3月)

 

 大字池子の中部西寄り、池子川の支流沿いにある。
 現在は「米軍池子住宅地区及び海軍補助施設」の敷地内で、米軍人・軍属及びその家族の居住地や関連施設となっている。
 一般には開放されておらず現地を訪れることはできないが、池子側ゲート付近より集落の南端を望むことが可能ではある。
 集落跡付近には関係者の子女が通う小学校(Ikego Elementary School)もあるが、字としては仲川ではなく竹之後(たけのしろ)もしくは仏坪(ほとけつぼ)に位置しているよう(地図画像で、明色部の北隣の支流)。

 市のウェブサイトによると、同施設は昭和13年に旧日本海軍が池子の一部(仲川の3世帯)を海軍用地として買収したことに始まる。のち施設昭和15年3月に池子の舞台(ぶたい)八坂の計29世帯、昭和16年11月池子の仲川・花の瀬(はなのせ)計11世帯、同年12月久木の柏原12世帯、昭和17年池子の古戸(ふると)・柳原(やなぎはら)計1世帯、昭和19年5月池子の桟敷戸(さじきど)・花の瀬・柳原計5世帯、昭和20年6月池子の笹倉(ささくら)・東大上(ひがしおおがみ)・西大上(にし―)・星ヶ谷(ほしがや)計8世帯へと拡大し、弾薬庫等が建設された(※1)
 移転を余儀なくされた世帯は計69世帯。うち7世帯は移転先から再度立ち退きを命じられている(※2)

 昭和20年、施設は米軍により接収される。
 昭和58年7月20日、防衛施設庁が逗子市・県・横浜市に対し「池子は米軍住宅建設の適地」と通告。市と県は、同日中に計画の中止を要請。のち長らく防衛施設庁・市・県の間で住宅建設の是非が問われることとなるが、平成6年11月17日、防衛施設庁長官・県知事・市長の三者が合意書に調印することとなった。
 なお昭和60年11月14日、日米合同委員会において「池子弾薬庫」から「池子住宅地区及び海軍補助施設」に用途変更となっている。
 令和5年現在、敷地内の住宅は高層8棟528戸、低層60棟326戸の計854戸。居住者数約3,000人(※3)

※1 地名の読みは資料『池子のあゆみ』より
※2 市史では移転58世帯、、再度立ち退きは4世帯となっている
※3 住宅地の範囲はかつての仲川・
八坂のほか、字としては今堤(いまづつみ)・笹ヶ谷(ささがやと)・竹ノ後等に及ぶ

 資料『池子のあゆみ』によると、仲川の移転者は以下のとおり(掲載順)。

  移転年月 移転先 備考
1 君島 昭和13年(1回目)
昭和16年11月(2回目)

池子八坂(1回目)
葉山町長柄(ながえ)(2回目)

軍命令により2度の移転
2 昭和13年(1回目)
昭和16年11月(2回目)

池子八坂(1回目)
市内桜山(さくらやま)(2回目)

3 昭和16年11月 市内桜山  
4 昭和13年 葉山町  
5 加〓(※4) 昭和16年11月 葉山町長柄  
6 君島 市内桜山  
7 今井 葉山町長柄  
8 池子地内  
9 只川  
10  
11 岸田  
12  
13 佐藤 昭和19年10月 仙台市  
14 藤田 市内沼間(ぬまま)  
15 岡部 市内桜山  
16 君島 葉山町長柄  

※4 〓は「藤」の右下が「刀」。本書は全篇に亘って手書きだが、誤記だろうか(なお「佐藤」「藤田」はママ)

 

 

◆◆写真はありません◆◆

 

 

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