◆柏原(かしわばら)
所在:逗子市久木(ひさぎ)
久木地区の北東部(大字久木)、久木川の上流部にある。 資料『わたしたちのふるさと久木』およびその続編によると、昭和16年に旧日本海軍の火薬庫用地として買収され全戸が離村したとのこと。 ※1 いずれかが「かじや」もしくは「こうち」 「角川」によると、当地は室町期より見られる地名で、近世は三浦郡柏原村。明治7年久木村の一部となる。『新編相模国風土記稿』より、江戸時代末期は16戸であったことが分かる。 市のウェブサイトによると、米軍池子住宅地区及び海軍補助施設は、昭和13年に旧日本海軍が池子の一部(仲川の3世帯)を海軍用地として買収したことに始まる。のち施設昭和15年3月に池子の舞台(ぶたい)・ 八坂の計29世帯、昭和16年11月池子の仲川・花の瀬(はなのせ)計11世帯、同年12月柏原12世帯、昭和17年池子の古戸(ふると)・柳原(やなぎはら)計1世帯、昭和19年5月池子の桟敷戸(さじきど)・花の瀬・柳原計5世帯、昭和20年6月池子の笹倉(ささくら)・東大上(ひがしおおがみ)・西大上(にし―)・星ヶ谷(ほしがや)計8世帯へと拡大した。移転を余儀なくされた世帯は計69世帯。うち7世帯は移転先から再度立ち退きを命じられている(※3)。 昭和20年には米軍により接収。 平成26年11月30日、一部の土地(約40ha。のちの池子の森自然公園)の日米共同使用が開始され、同27年1月31日に池子の森自然公園の開園記念式典が開催された。2月1日に池子の森自然公園のスポーツエリアが開園し、続いて旧柏原地区が平成28年3月19日に緑地エリアとして開放された。 ※2 地名の読みは資料『池子のあゆみ』より 現地は離村後に弾薬庫などの施設が置かれたこともあり、集落の痕跡はほぼ見られない。ただし、「やぐら」と呼ばれる鎌倉・室町時代に作られた横穴式の墓地の跡が崖地に散見される(写真9・10)。
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写真1 池子方面からの集落入口。建物はビジターセンター |
写真2 支流(盗人の谷)の線路跡(福島家・岡部家付近) |
写真3 写真2の消火栓 |
写真4 グラウンド(水田跡。奥が岩田家跡となる) |
写真5 水田跡(のち弾薬庫施設跡。人が集まっている辺りに大きめの痕跡がある) |
写真6 関家跡付近 |
写真7 谷に架かる小橋(中央右下)と塞がれた横穴(中央左上) |
写真8 関家跡付近? 看板は「やぐら」の説明板 |
写真9 「やぐら」のひとつ |
写真10 同 |
写真11 水田跡 |
写真12 福島家跡付近 |
写真13 写真12奥の遺構 |
写真14 鈴木家・飯田家付近 |
写真15 鈴木家付近 |
写真16 共用部分の終点。上流の2戸(飯田家)はこの先にあった |