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◆石川(いしかわ?)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「青梅」(明治42)を使用したものである

所在:東大和市多摩湖(たまこ)三丁目・同六丁目
地形図:所沢/青梅
形態:川沿いに家屋が集まる
標高:約100m(水面は約110m)
訪問:2019年3月

 

 市の北西部、北(きた)川(=宅部(やけべ)川。柳瀬(やなせ)川支流)沿いにある。現在はほとんどが村山(むらやま)貯水池(多摩湖)の上貯水池に水没しているが、上流のごく一部の宅地跡は水没を免れている。
 市史によると、村山貯水池建造に伴う一連の移転で最初に移転が始まったとのこと(大正4年)(ダム建設の詳細については村山貯水池のページを参照)。移転当時は北多摩郡芋窪(いもくぼ)村に所在し、旧奈良橋(ならはし)荒ヶ谷戸の上流に位置する集落であった。ほとんどが現在の芋窪地区に移転したが、1戸は旧村山村(現在の武蔵村山市)、1戸は埼玉県勝楽寺に移転した。
 市史史料編の「村山貯水池内民家配置の復元図」によると、移転世帯は48戸。内訳は高杉7・清野6・石井4・岩品4・菅沼4・田中4・谷内4・荒畑3・井上2・尾亦2・村野2・浅見・尾又・須沼・滝坂・中村・橋本各1。神社は住吉神社、寺院は蓮華寺および慶性院。
 なお堰堤前後には旧蔵敷
(ぞうしき)村の飛地(地域としての名称は不明)も含まれ、飛地内の全戸(石井家2戸)も移転している

 貯水池周囲は柵が囲繞しており湖面に近づくことができず、堰堤付近より水没地東端を望むにとどまった。

 


写真 堰堤とダム湖(集落東端)

 

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