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◆勝楽寺(しょうらくじ)



※ 明色部(現行の大字領域)
※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「青梅」(明治42)を加工し使用したものである

所在:所沢市勝楽寺
地形図:所沢/青梅
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:ダム建設
標高:約90〜120m(水面は約110m)
訪問:2019年3月

 

 市の南西部、柳瀬(やなせ)川の上流部にある。多くが山口貯水池(通称・狭山(さやま)湖)に水没しているが、上流の一部は水没を免れている。貯水池建設の経緯や移転世帯については山口貯水池のページを参照。
 「角川」によると、大字としての勝楽寺は近世の入間郡勝楽寺村。明治35年山口村の大字となる(のち所沢町→所沢市)。文化・文政期(1804-30)117戸、明治9年114戸662人、明治22年799人。地名は当地にあった真言宗の寺院「勝楽寺」に由来。同寺は百済から渡来した王仁(わに)の子孫が開いたと伝わり、梵鐘には「武州高麗郡勝楽寺村…(略)延久三年辛亥九月十九日開闢」とあるとのこと。明治期の産物として、繭・桑・薪・絣・酒類・茶が挙げられている。
 市史の地誌付図によると、字大坊
(だいぼう)には仏蔵院(=勝楽寺)や七社権現(それぞれ上の地図画像の寺院および神社の記号)、字根古屋(ねごや)には根古屋城跡があったことが分かる。
 『縄竹いまむかし』によると、大正9年に電灯が導入されたとのこと。
 資料『湖底のふるさと』によると、小地区別の家々と現在の居住地は以下のとおり。

  堀口 刈谷戸 神門 北入 中笠 大笠
埼玉県

所沢市

山口(やまぐち) 中村・中村・内田・中村・中村・中村・中村・本橋・本橋・本橋・本橋・本橋・本橋・本橋・本橋・竹之内・中村・野崎・中村・荒畑・鈴木・井上・井上・中村・竹之内・中村・竹之内・井上 北田・田中・田中・北田・北田・北田・北田・中村・北田・北田 石川・中村・小山・石川・荒畑・荒畑 池田・高橋 竹中・小俣・斉藤・宮崎 久保田・久保田
上山口(かみやまぐち) 高杉・北田・中村・野崎・本橋・本橋・中村・中村・中村・鈴木・竹之内・中村・野崎・中村・中村・竹之内・中村・関根・中村・粕谷・鈴木・井上 田中・沢田・北田・北田 野村・野村・小山・荒畑・野村 池田・高橋・石川   荒畑・荒畑・豊泉
北野(きたの) 本橋   荒畑・野村・野村・荒畑・野村・野村・粕谷 村田・高橋・萩原・村田・池田・池田・二見・石川・萩原・二見 中山・木下・川口・川口・川口・木下  
三ケ島(みかじま)       池田・内野・内野・内野・内野・石川・石川・   久保田・久保田
上新井(かみあらい)     野村・野村 池田・橋本・池田・池田    
荒幡(あらはた) 中山   野村・荒畑   萩原
小手指(こてさし)     荒幡・野村 高橋    
北秋津(きたあきつ)   沢田 粕谷・粕谷      
西所沢(にしところざわ) 本橋・野崎・竹之内          
その他 石川   石川・石川   荒畑・石川・萩原  
その他     荒畑     久保田
東京都 武蔵村山市 三ツ木(みつぎ) 本橋     萩原 木下・木下 石川・荒畑・荒畑・久保田・久保田・久保田・久保田・久保田・久保田・久保田・久保田・荒畑・豊泉・豊泉・豊泉・豊泉・豊泉・豊泉・石川・荒畑・豊泉・進藤・進藤・木下・豊泉
横田         小川・木下 久保田・荒畑・豊泉・久保田・石川・豊泉・
その他       萩原 窪島・寺田 久保田・久保田・豊泉
東大和市 奈良橋(ならはし) 本柳 田中・沢田・沢田・神谷・神谷・沢田・田中・神谷 神谷・野村     荒畑・荒畑・鈴木・荒幡・荒幡・荒幡・荒幡・小峰・荒畑
芋窪(いもくぼ)     野村・野村   中山・中山・木下・村野・斉藤・木下 久保田
立川市         斉藤 高橋・荒幡・久保田
その他 中村・鈴木・粕谷   粕谷 石川 木下 高橋・荒畑・荒畑
千葉県   田中・沢田        
記載なし(空欄)   沢田 飯田・荒畑   萩原 荒畑・金子・石川・久保田・荒畑
不明 進藤     松岡・萩原 古川  


 以下補足。
・堀口
 表中の家々のほか「空家」が1戸。また中村家1戸の現在の居住地が「自転車店」となっている(統計からは外した)。さらに清照寺の現住所が「星見山」となっているが、当方の調べでは現在は上山口に所在。
・神門
 比留間家1戸の現在の居住地が「床屋さん」となっている(統計からは外した)。
・中笠
 公的な施設として、仏蔵院(寺院)・七社神社・阿弥陀堂(神楽殿)・薬師堂・公会堂が記載されている。仏蔵院は山口に移転(表中の竹中氏)。七社神社は中氷川神社(山口)に合祀。薬師堂は仏蔵院(山口)の境内に移転。三ツ木に移転の木下氏は売店を経営。


 現在は大字域の東部・北部が完全に水没しているが、南西部(上の地図画像の地名表記付近)には水没を免れた宅地が多数。最近の地形図には湖面に向かう道が多数記されているものの、貯水池周囲は稜線に沿うように柵が囲繞しており湖面に近づくことができない。堰堤より大字東部の水没地を望むにとどまった。
 なお貯水池の管理事務所が大字勝楽寺に属している。

 


写真1 ダム堰堤


写真2 貯水池の範囲(堰堤に設置の解説板より)。勝楽寺は円内の東側


(写真3 堰堤より市街地を望む)

写真4 堰堤より集落方面を望む

写真5 現地への降り口。「所沢市勝楽寺1167」とある

写真6 別の降り口。「所沢市勝楽寺1154」とある

 

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