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◆一ノ倉(いちのくら)



※ この地図は、大日本帝国陸地測量部発行の1/50,000地形図「湯澤」(大正3.6)を使用したものである

在:みなかみ町(国有林)
地形図:茂倉竹/湯沢
形態:川沿いの斜面に家屋が少数集まる
標高:約760m
訪問:2019年5

 

 町の西部、湯檜曽(ゆびそ)川の左岸側にある。川沿いを通る旧街道沿いで、一ノ倉沢と幽(ゆう)ノ沢の間(一ノ倉尾根の先端付近)に位置する。
 現地には説明板(写真1)があり、その付近には墓石が数基置かれた一角(写真2)がある。墓地では防金姓?(※)を確認。周囲の平坦地の藪の中には石積みの痕跡が散見される。以下は現地の説明板より。

 清水越新道と宿泊茶屋

 明治7年に政府は湯檜曽より新潟県までの清水越新道を開通させました。
明治9年には内国通運会社沼田分社や湯檜曽などの継立所により、一ノ倉出合付近に宿泊茶屋等6棟が建てられ通行者や荷物の運搬に便宜が供せられました。当時を偲ぶ石垣や流路が残されています。同様の宿泊茶屋は武能沢出合付近、白樺尾根上部にも造られました。
 明治18年には清水街道(旧国道8号線・現国道291号線)が開通しましたが、清水街道は災害等によりまもなく廃道になり、その後は清水越新道と清水街道の一部を利用した道路が使われました。
 明治23年頃の湯檜曽−清水間の運賃は荷物二〆で88銭、人力車150銭、荷馬車630銭、荷車240銭、駄馬80銭となっており、明治24年の往復旅人9135人、出入荷物4808個を数えました。
 明治26年に信越線が開通すると、街道は急激に寂れていきました。

 谷川岳エコツーリズム推進協議会

※ 「故 防金恆吉墓」とあるが、少なくとも現在は防金氏の存在は確認はできない(建立は明治17年)。また施主は中森氏

 


写真1 説明板

写真2 墓地。一つは防金氏?のもの

写真3 石垣

写真4 道と平坦地

写真5 遺構

写真6 平坦地

写真7 茶屋の入口?

写真8 石積み

写真9 平坦地

写真10 遺構

写真11 遺構

写真12 平坦地

写真13 道の分岐。左は一ノ倉尾根、直進は新潟方面

(写真14 一ノ倉沢)

 

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