戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆今神(いまがみ)

 

※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「角田」(昭和21.11)および国土地理院発行の同地形図(昭和53.11)を使用したものである

所在:新地町駒ケ嶺(こまがみね)字今神
地形図:新地/角田
形態:海沿いに家屋が集まる
離村の背景:発電所建設?
標高:数m
訪問:2023年5月

 

 大字駒ケ嶺の東部、仙台湾に面した海沿いにある。ここでは海側の今神・陸側の師山について触れる。
 集落は現在の新地発電所の敷地内に当たり、航空写真を見る限り痕跡はないものと思われる。敷地の一角が「わくわくランド」として一般に開放されているが、ここは集落の農地や林であった。
 1970年代の航空写真では、今神・師山ともに10戸弱程度の人家のようなものが写っている。
 なお往時は一帯に大きな潟湖(新沼(にいぬま)浦)があり、干拓後は現在の新地発電所の大部分と相馬中核工業団地の一帯(概ね駒ケ嶺字今神西・字今神の西部および相馬市光陽一〜四丁目)となっている。

 町史によると、相馬共同火力発電株式会社により新地発電所(※)が建設され、平成6年7月1号機の運転が開始されたとのこと。
 なお新沼浦の干拓は大正8年に工事の許可が下り、翌9年4月起工式が開かれた。堤防の築造には今神より大量の土砂が運ばれ、また師山には排水機関場が設けられている。
 浦では藩政時代から塩水を利用した製塩が行われていたが、専売法の施行により明治末期に中止。代わって魚介類の漁が行われるようになったが、松川浦や近海での漁獲量には到底及ばなかったという。新沼浦が干拓され耕作が開始したのは、大正13年から。
 また相馬市史によると、1921年工事開始、干拓工事がほぼ完成したのは1926年とある。

※ 同社のウェブサイトによると、発電所は駒ケ嶺字今神1番地1に立地していることが分かる

 


写真 発電所を南西側より望む

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ