◆大岐(おおまた)
所在:金山町山入(やまいり)
大字中入の東部、山入川(只見(ただみ)川支流)沿いにある。 資料『金山町 只見町集落移転調査報告書』によると、昭和44年8月の集中豪雨により移転したとのこと。被災当時9戸41人。流失6戸、半壊2戸、床下浸水1戸。死者5名。農地被害3.68ha。主な生業は農業で、うち3戸は土建業との兼業であった。昭和45年には移転が完了し、移転先は町内横田。 集落跡では現在でも水田が耕作され、通いで耕作が行われていることが窺える。山裾には墓地があり、栗城・滝沢・五十嵐・長谷川といった姓が見られた。屋敷跡の痕跡は見られず、特定には至らなかった。最近の地形図では神社の記号が見られるが、「大岐集落跡」の看板(後述)によるとこれは熊野神社。鳥居と石段が残っているものの社殿は既にない(写真9-11)。また同じく看板に従い「山の神」および「観音様」の跡地も探したが、それらの痕跡も見られなかった。 なお屋敷跡のひとつと思われる場所には「大岐集落跡」の看板が立ち(写真6)、被災の説明と集落の絵地図が記されている(写真6)。これによると、長谷川家4戸、若林家2戸、五十嵐・小沼・滝沢各家が1戸ずつで、滝沢家のみが左岸。熊野神社・山の神・観音様といったものが記されている。9戸45人のうち、流失・全壊6戸、半壊2戸、一部破損1戸。死者5名、重傷者3名。左岸側の山から土石流が起こり、集落を襲ったことが分かる。
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![]() 写真1 集落入口の遭難供養塔 |
![]() 写真2 水田と県道 |
![]() 写真3 墓地と水田 |
![]() 写真4 水田 |
![]() 写真5 屋敷跡? |
![]() 写真6 集落跡の看板(写真5にて) |
![]() 写真7 左岸の風景 |
![]() 写真8 屋敷跡? |
![]() 写真9 熊野神社参道 |
![]() 写真10 同鳥居 |
![]() 写真11 同社殿跡 |
![]() 写真12 熊野神社の大杉 |
![]() 写真13 稲荷様の大栗の木 |
![]() 写真14 稲荷様の夫婦クロベ |
![]() 写真15 山の神跡? |
![]() 写真16 観音様跡 |
![]() 写真17 観音様の大くろべ |
![]() 写真18 松坂峠古戦場。看板の脇は屋敷跡? |