戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ

 

◆大岐(おおまた)



※ この地図は、地理調査所発行の1/50,000地形図「只見」(昭和21.10)を使用したものである

所在:金山町山入(やまいり)
地形図:会津横田/只見
形態:川沿いに家屋が集まる
離村の背景:災害
標高:約420m
訪問:2023年6月

 

 大字中入の東部、山入川(只見(ただみ)川支流)沿いにある。

 資料『金山町 只見町集落移転調査報告書』によると、昭和44年8月の集中豪雨により移転したとのこと。被災当時9戸41人。流失6戸、半壊2戸、床下浸水1戸。死者5名。農地被害3.68ha。主な生業は農業で、うち3戸は土建業との兼業であった。昭和45年には移転が完了し、移転先は町内横田。

 集落跡では現在でも水田が耕作され、通いで耕作が行われていることが窺える。山裾には墓地があり、栗城・滝沢・五十嵐・長谷川といった姓が見られた。屋敷跡の痕跡は見られず、特定には至らなかった。最近の地形図では神社の記号が見られるが、「大岐集落跡」の看板(後述)によるとこれは熊野神社。鳥居と石段が残っているものの社殿は既にない(写真9-11)。また同じく看板に従い「山の神」および「観音様」の跡地も探したが、それらの痕跡も見られなかった。
 右岸側の山中には樹齢を重ねた木が多く、顕著なものには1つ1つ標柱が立てられている(写真12・13・14・17ほか多数)。
 集落の上流には「松坂峠古戦場」の看板があり(写真18)、これによると松坂峠を挟んだ大岐の境ノ沢から浮島(うきしま)(只見町布沢(ふざわ))の間で、山ノ内氏勝と伊達政宗軍が激しい戦いが繰り広げられたとのこと。

 なお屋敷跡のひとつと思われる場所には「大岐集落跡」の看板が立ち(写真6)、被災の説明と集落の絵地図が記されている(写真6)。これによると、長谷川家4戸、若林家2戸、五十嵐・小沼・滝沢各家が1戸ずつで、滝沢家のみが左岸。熊野神社・山の神・観音様といったものが記されている。9戸45人のうち、流失・全壊6戸、半壊2戸、一部破損1戸。死者5名、重傷者3名。左岸側の山から土石流が起こり、集落を襲ったことが分かる。

 


写真1 集落入口の遭難供養塔

写真2 水田と県道

写真3 墓地と水田

写真4 水田

写真5 屋敷跡?

写真6 集落跡の看板(写真5にて)

写真7 左岸の風景

写真8 屋敷跡?

写真9 熊野神社参道

写真10 同鳥居

写真11 同社殿跡

写真12 熊野神社の大杉

写真13 稲荷様の大栗の木

写真14 稲荷様の夫婦クロベ

写真15 山の神跡?

写真16 観音様跡

写真17 観音様の大くろべ

写真18 松坂峠古戦場。看板の脇は屋敷跡?

 

戻る 前へ 次へ 市町村選択ページへ 都道府県選択ページへ トップページへ